映画 あ・うん

 
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ときたま、なぜだか、あ・うん、が恋しくなります(笑)。
 
あのテーマ曲(オープニングとエンディングの曲)を聞くと、もう、たまりません。
 
日本映画の中で使われた曲で、一番好きです。
 
実は、昨日、ビデオからテーマ曲を抜き出して、ファイル化し、パソコンで繰り返し聴いています。
 
 
今も、聴きながらこの記事を書いています。
 
向田邦子作品を沢山読んでいるわけじゃありません。
 
その中でも、あ・うん、が一番好きです。
 
小説が映画化されていることも影響しています、ハッキリと自覚症状があります。
 
小説を読みながら脳裏にその場面が展開するのですが、そこにいる門倉は高倉健で、水田は板東英二なのです。
 
そして、控えめですけど、お茶目で、生き生きとした女性として登場する水田の妻たみは、冨司純子なのです。
 
私は、この三人の息の合った演技が好きです。
 
NHKドラマは、原作の趣を大切にしていて、キャスティングも、演技派をずらりと揃え、それはすばらしい出来ですが、映画の脚本の方が、あ・うん、の主題をよく表現できていると私は考えます。
 
NHKのドラマでは、私の考えている主題を前面に押し出すことは難しかったと考えます、当時は。
 
映画では、水田とその妻たみ 、そして水田の寝台戦友で親友の門倉、この三人のなんとも微妙な三角関係、いや、愛、という言葉に内蔵される相手への思いやりの心、相手を大切に思う心、がこの三人の男女の関わり合いを通して絶妙なさじ加減で描かれていると思います。
 
他者を思う心、それが自分の得にならなくても、そして、物質的に、物理的に占有できなくても、その思いを貫けることの美しさが、この作品の主題だと私は考えています。
 
時代背景が、向田さんが経験した昭和の初期から大戦へ突き進む時期に設定されていることも、作品に微妙な影響を与えていると思います。
 
日本が軍国主義帝国主義の悪意に席巻されて、自由が束縛されていく暗い時代であるからこそ、この三人の奇妙な関係は、とても美しく、得がたい光を放っているように私は感じます。
 
向田さんが、あ・うんに込めた思いは、彼女の、愛する人達への深い思いそのものです。
 
彼女は、この作品を通して、身近な人、愛する人への彼女の思いを、静かに、そして、堅実で揺るぎない愛というかたちで表現したのだと感じました。
 
映画のラストシーン、とても感動します。
 
水田の一人娘、さと子(富田靖子)が、出征が決まった帝大生の恋人の訪問をうけて、動揺するシーンです。
 
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門倉は、さと子の、恋人への深い思いを知っていました。
 
そして、雪の中、去っていく恋人に何も言えずただ立ちつくすさと子の背中を押して、後を追わせるのです、おじさんがすべて責任を持つ、と言って。
 
普段着のままのさと子に、マフラーを巻いてあげて、雪の中へ送り出す門倉の優しさ、しびれます。
 
健さん、格好良すぎます、あなたにピッタリのシーンです。
 
このシーンを成立させるために、高倉健が絶対に必要なのです、いや、プロデューサー、脚本家、監督、そして、カメラマンも、高倉健の魅力を十分に把握しているからこそ、可能だったショットだと思います。
 
あのシーンは、高倉健が演じてこそ、絵になります。
 
彼のそれまでの映画人生、彼が造り上げた、誰もが承知している人間像が、あのシーンには必要なのです。
 
それにしても、ひとの娘を、よくもまあ、勝手なことを、とはらはらしますね、少し冷静になって考えると。
 
でも、門倉にとって、さと子は、自分の娘、なのだと私は考えます、最愛のひとの子供なのですから。
 
劇中の各配役の感情を勝手に憶測していますが、あのラストは、門倉が叶わぬ恋に悩み苦悩する自分とは違った道をさと子には歩んで欲しい、という願いが一気に吹き出た場面、と勝手に解釈して感動しています。
 
 
 
実生活では、向田さんには愛する男性がいました。
 
彼は既婚者でしたが、体をこわして、家族とは離れて療養生活をしていました。
 
超多忙な作家活動の中、彼のもとを訪れ、世話を焼き、彼女のよき理解者でもある彼と、一緒の時を過ごすことが、向田さんの生活を支える原動力だったように思えるのです。
 
悲しいことに、彼は、自ら死を選びます。
 
この辺の経緯は、妹の向田和子さんがまとめた、向田邦子の恋文、に詳しく書かれています。
 
彼女とこの男性との係わりが、そのまま、あ・うんによって表現されている、微妙な男女関係に反映されていると考えるのは、あまりに穿った見方でしょうか。 
 
細かな点ですが、
 
冨司純子扮するたみが、庭に面した廊下で、夫の夏服の上着を羽織り、カンカン帽を手にして、鼻歌を歌いながらステップを踏み踊るシーンが、大好きです。
 
女の内蔵する可愛さ、愛おしさ、を見事に演じきっていると思います、すごい役者です。
 
あれを見たら、ひとたまりありませんね、健さん扮する門倉も、ダメを押されかかったのではないでしょうか、抑えていた感情をどうすることもできなくなるような…。
 
NHKのテレビドラマに負けず劣らず、芸達者が、ちょい役で出演して、映画を引き締めています。
 
心のよりどころである水田家への出入りが禁じられ、断ち切りがたいたみへの思いに悩む門倉が、その心情を三木のり平扮する行きずりのスリに屋台で吐露するシーン、とても短いですが、大人の会話、とはこれだというお手本です。
 
おでんをつつきながら酒を酌み交わす初見の男ふたり、そこには、小難しい理屈や饒舌はありません、相手の心根を十分に承知した、少しの、温かな言葉が交わされるだけです。
 
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記事の冒頭でも書きましたが、オープニングのシーン、美しい花が次から次へと登場するのですが、あれは、命の力強さ、神々しさ、を花の美しさを通じて表現していると、勝手に理解しています(笑)。
 
四季ごとに日本の自然を彩る美しい草花に特別な感情を日本人は抱くのではないでしょうか。
 
春の訪れの梅、そして桜、5月の藤など、命が芽吹き、成長し、やがて、愛を語るようになる人間の一生を、次々に登場しては消える花々に私は見る思いがします、すばらしいオープニング、撮影です(撮影 木村大作)。
 
そこに、あのテーマ曲です、最高の組み合わせです。
 
原作のあ・うんは、人間観察に優れた才能を持った向田邦子というひとの人生が凝縮されいるからこそ、作中の登場人物がその役割をきちんと果たしていて、見事に調和しています。
 
その見事さが、大仰でなく、饒舌でないところが、向田邦子の神髄のように私には思えるのです。
 
ぜひ、ご覧ください、映画のあ・うん、とても素敵ですよ。