昔は神社を参拝する時にあれこれ作法など言われたり、気にすることなどなかった。
ここ十数年くらい、ちょうど売国奴のインチキ極右である安倍晋三が総理大臣になった頃、靖国神社への参拝が問題視されだしたあたりから、神社参拝の方法についてうるさく言う活動が目立つようになった。
日本の神様である、やおよろずの神は心が広く、おおらかなのが特徴なのだか、それとは違って、権力者が創設した、天皇を神とする神社(靖国神社や伊勢神宮など)では参拝法を強要する行為、活動が進んでいる。
それに乗じる意図だと思われるが、おおらかだった、やおよろずの神を祀る神社の参拝についても作法を強要する雰囲気が醸成されている。
これは極右や保守という、神社に関係する氏子という人物や団体が意図的に行っているのだろう。
繰り返すが、日本の神様はおおらかで、心の広い存在であり、天皇を神とする神社のように、儀礼によって天皇への尊崇の念を示させるという、高圧的な行為を強要することは、かつてはなかった。
極右や保守はこうやって日本社会に神である天皇に従属する意識を植え付けようとしているのだろう。
極右や国粋主義者は地域活動を通じて、様々な工作を行っていることに多くの国民は気が付かず、無批判に従っている。
例えば、長い歴史を持ち、現在は日本会議を名乗る団体は、偏狭で、時代に応じて基本理念を変えてきた極右団体であり、地域活動(子育て支援など)に息のかかった人間を派遣し、洗脳工作、を行っている。
だから高市のような低能なインチキ右翼、ネトウヨに投票する国民が急増したのかもしれない。
権力者が統治に都合のいいようにと、創作したものでなく、あるがままの自然に対する様々な思いを神社として形にした、その素朴な心情を、儀礼として形式化し、従わせるのでなく、身近なものとして共存することが日本らしい有り様だと思う、文化とはあえて言わないが。