先日、浅田次郎の短編小説「角筈にて」のテレビドラマが、再放送されました。
もうすぐ、「オリオン座から招待状」の映画が、封切られるからかもしれません。
これらの作品は、いずれも、大ヒットした高倉健主演の映画「鉄道員」のタイトルが付いた短編集の中に収録されています。
私は、「角筈にて」が、浅田次郎の短編の中では、一番好きです。
父親に捨てられてもなお、親子の絆を心に持ち続け、精一杯生きたエリート商社マンの話です。
捨てられたにもかかわらず、父への思いの深さが、とても切なくて、ほんと、泣けます。
私も、幼稚園の時に、父を亡くしているので、子供の頃の、決して表には出すことのない、父のいない寂しさ、空虚さが、この作品を読んでいると思い出されます。
私は何時も父親と一緒でした。
どこにでも、一緒に行きました。
亡くなる日も、体調が悪いという父について病院に行きました。
そして、父は、夜勤に出かけ、変わり果てた姿で、帰ってきました。
今でも、おんぶされたときの、父の大きな背中を思い出します。
父親は、私にとって、とても大きな存在だったのです。
その父がある日突然事故死してしまい、何の前触れもなく、ポッカリ穴が開いてしまったのです。
捨てられるのとは違った状況ですが、大きな存在が突然消えてなくなるという点では、同じかもしれません。
”角筈にて”は、色々な読み方ができると思います。
読者それぞれが、これまでの人生における、親や子供との関わりを思い出しながら、親とは何か、子供とは何か、そして、親と子の宿命に思いを巡らすのではないでしょうか。
私の、父に対する思いは、幼稚園児だったころから、何の変化もないのです。
父と会って、話がしてみたいものです。
角筈にての主人公が、夢か現か、よく分かりませんが、そうできたように。