都立難関校受験塾という看板を見た

非常勤講師をしている大学へ向かう途中、ビル建設が進行していた。
 
いつもは、考え事をして歩いているので、あたりにはそれほど気を配らないのだが、ふと、そのビル建設現場に目をやると
 
都立難関校受験
 
という文字が目に入った。
 
大手予備校のK塾が、進学指導重点校など、自校作成問題を出題する、都立の最難関校受験対策を専門に行う塾を、その真新しいビルで、始めるようだ。
 
ああ、都立高校も、ここまできたか、という脱力感にとらわれた。
 
きっと、高額の授業料が必要な、受験対策満載の塾なのだろう。
 
過去の栄光?を取り戻すために(都立高校の復権というらしい)、公立の学校にはいるために、通塾し、特別な対策をしなくてはならないとは、異常ではないか?
 
誰が得をして、その結果、何が起こるのか、という因果関係をちっとも思考しない、東京都の親たちを、にがにがしく思う。
 
加えて、都立高校は、不要な学校と認定された底辺校(嫌いな表現)や定時制を次々に統廃合していて、都立高校へのニーズの高まりなど、全く無視した政策が推し進められている。
 
公教育を利用するために、これほどの教育投資をしなくてはならないのか、と行き過ぎた選別教育と、それを素直に受け入れて、対策する東京都の親たちの、何とも従順な態度に、かえって、感服する。
 
完全に、飼い慣らされた子羊たちである。
 
イシハラの大好きな、そして、どの親も、心の奥底には、少なからず隠し持っている、特権への憧れ、がこの教育狂騒曲を奏でさせている。
 
奴隷化されて、奉仕させられる、大多数の普通の都立高校進学者とその親たち、ただ、都立高校に入学することで、満足しているのだろうか。
 
よく分からない、まったく、理解不能である。
 
国際と付く都立高校があるそうだが、なぜ、一般高校に入学させて教育しようとしないのか、理解できない。
 
日本語が理解できて初めて日本人であるのに、何を意図しているのだろうか、この国際と付く高校は、通訳の養成所か、それとも、語学バカのためか。
 
外国で得難い経験をしたことを有り難がっているなら、それを囲い込まないで、広く他の人たちと共有することで、社会全体を豊かにする、という発想が全く欠落している。
 
私には、この種の学校は、国際性を育てるとご立派な建前を標榜しているが、その狙いは、バカを相手していたら面倒だから、特定の人たちだけが分かっていればいいという、特別待遇、特権の付与、としか思えないのだ。
 
相変わらずの明治維新状態、舶来もの賛美である。
 
日の丸に最敬礼し、君が代を斉唱することがキチンとできる子供でなくては、きっと、進学指導重点校や都立中高一貫校などの、上等な学校には、入学できないのだろう。
 
公教育の場が、こんなに寒々としていては、果たし豊かな感性や、人を思いやる気持ち、多様な価値観を受け入れる度量、といったことが育成されるだろうか。
 
都立高校の行く末が、とてつもなく心配なのである、公教育の崩壊を、もうこれ以上、見たくない。