九段中等教育学校は進学塾ではないのか?

タイトルのように、この区立中等教育学校の設立目的を理解していたのだが、朝日新聞の夕刊トップに、意外な記事が出ていた。

3年を終わって、4年に進む段階で、18人が、学習態度の不良(要は成績不振だろう)を理由に、他校へ転校?進学したらしい。

ハッキリ言えば、勉強について行けないから、退学することをすすめられたのだろう。

記事の内容は、6年を一貫という考えで、教育プログラムを組んでいるのだから、3年次で成績不良だからといって、切り捨てるのはいかがなものか、という論調であった。

どこかの大学の教育学者のコメントも、その論調を補完するものであった。

私に言わせれば、今頃何を言い出したのか、という感想である。

この中等教育学校は、大学受験に特化したことは明らかで、5年までに高校の全範囲を履修し、後の1年は、受験準備をするという、典型的な私立中高一貫進学校のプログラムを採用しているのだ。

ついでに、授業に、予備校も導入しており、公立でありながら、完全無欠の進学塾と、私には見える。

都立の中等教育学校など、中高一貫を売り物にした新規の学校は、中高一貫の私立進学校を模倣したもので、受験塾として、石原が、特定社会階層へのサービスとして始めたことと認識していたが、違ったのか?

九段は区立であるが、その設立趣旨は、単なる受験の成功だろう。

まさか、エリート教育とか、国際人としての素養を身につける、などと噴飯ものの宣伝文句は掲げていないだろうが(区立や都立の教員や、都の役人にそんな能力や経験はない!)、一体何が目的なのであろうか、この記事は。

今時の選挙により実現する政権交代が、何か影響しているのか、などと穿った見方も出来るが、さっぱり分からない。

もし、問題の中等教育学校が、受験塾であるという認識がなく入学した子供にとっては、大変な3年間だっただろうし、まさか、追い出されるとは夢にも思わなかっただろう。

短期間に結果を出すことに執着するあまり、子供とじっくり向き合うことをせず、成績不良者は切り捨てて、成績優良者だけを残すという、見た目をよくする、手抜きの教育をおこなうことは、至極当然のことと考える。

一体、誰が、こんな運営方針の学校を望んでいるのか、不思議でならない。

お金をかけずに、受験対策が出来る、などという安っぽい教育観で、学校を健全に運営し、人を育てることなど出来るはずがない。

いま、日本全国津々浦々で、公教育の場に、この中等教育学校とか、中高一貫校が、導入され始めたが、私は、その設立の目的が、大学受験の成功にある限りは、決して、教育的な成功はないと考える。

そして、都立高校の伝統ある、地域の中核をになっていた特色校は、単なる受験予備校に落ちぶれ、つまらない学校になることは、目に見えている。

中等教育学校化?されるサッカーの三鷹高校、もう二度と全国大会に出場することはなかろう。

勉学もそれ以外も、バランスよくやっていたのに、それをなぜに破壊(石原の得意とすること)しなくてはならないのか、大学受験のために。

都内各地域で、中心となって活動できる、才覚ある子供たちを集めていた都立高校を破壊し、中高一貫校に仕立て直して、東大を目指すことが、そんなに意味のあることなのか。

私は、無意味だと考える人間だ。

この稚拙な教育政策では、進学指導重点校が、周辺の都立高校から優秀層を吸収して、自分だけは肥え太ったように、少しは、大学進学実績は向上するかもしれないが、失うものがあまりに大きいと、私は考えるのである。

ましてや、これら特別編成の学校には、ほんの一握りの子供しか入学できないのだ、そんな学校の設立を、どこの、どんな親が望んでいるのか、不思議でならない。

中高一貫が、教育的に、強引に進めるほど優れているなら、なぜ、全都で、やらないのか。

そこには、特定の人間を選択したい、他とは差別化して明確な格差を付けたい、他は消滅してもかまわない、という強い意志が働いているとしか思えない。

たぶん、公教育の使命を理解できない都知事とその取り巻きでは、この偏向的な教育政策の薄っぺらさを取り繕うことしかできないだろう、マスコミや教育産業を使った宣伝工作で。

こういう偏向的な教育は、私学の、何も特色や売りのない学校に任せておけばいいのではないか、と思うのである。

世の中には、偏向的な教育に意義を感じて、お金を払う人もたくさんいるのだから。