ネット情報あれこれ

今更ながらであるが、インターネット、の普及で、個人が莫大な量の情報を手に入れることが可能となった。

ただし、量は増えたのであるが、その質が問題である。

とは言っても、私も含めてであるが、ひとそれぞれ、思想信条、は様々であるから、情報の取捨選択には自ずからバイアスがかかってしまうことは否めない。

こういうバイアスを偏向と考えるか、それとも、思想信条の自由、表現の自由、ととられるかは、それこそ千差万別であり、私は、お好きなように、という立場である。

ただし、私のブログに関しては、通りすがりのコメント、は認めないというように、私の好きにやっている。

匿名とはいえ、ブログをきちんと運営している人なら、思想信条がわかるので少しは安心であるが、それさえも不明な場合はご遠慮願っている。

私が気に入らないと考える、例えば原発再稼働賛成(=核武装容認)、軍国主義賛美、警察国家に基づく国家主義全体主義の方々には、速やかに退場願っている、よそでやってくれ、である。

思えば、ネット社会の拡大によって、我々は、権力者がこれまでやってきたこと、そして、その実現のために、情報、をいかに利用してきたかを知った。

米国の公文書で明らかにされていて何の弁解の余地もないのであるが、CIAの工作員だった読売の正力松太郎や中曽根のような危険な思想の持ち主、つまり、売国奴のにおいがプンプンする戦争犯罪人(絞首刑を免れた)が
、戦後の日本を、新聞やテレビといった媒体を利用して、いかに自分たちに都合がいいように歪めてきたか知ることができたことは、情報化社会の、勝利、だったと考える。

社会正義をギリギリのところで確保しようとする米国には、国家権力に都合の悪い機密をリークするというウイキリークスまで登場するなど、正義の心(色々問題もあるが)が確保されている点が、ニッポン、と大きく異なり、うらやましい限りである。

その正義を貴ぶ社会とは、大人の社会、自立して考えることを好む社会、もっと言えば、知性のある人間であれば真実を知りたい、正しく生きたい、と自然と欲する、健全な社会である。

今のニッポンには希薄な社会風潮、思想、ではなかろうか。

繰り返しになるが、極めて幼稚な国家、物質(金、アベの大好きな)や破壊的な力によって社会を統制し、
米国の植民地であることを利用する一方で、それとは大いに矛盾するのであるが、核武装で世界の一等国になることを熱望し続ける、乱暴者の駄々っ子が、ニッポンという幼児国家の本性と、私は考える。