清々しい人

他人の誠実さに心を打たれることがある。
 
つい最近も、ある実験手技について、某大学の研究者に問い合わせたところ、詳細な手順書と論文のコピー(PDFファイル)を送ってくれた。
 
学会で会ったときに、色々と質問していたので話は早かったのだが、実験手技確認用サンプルの分与も快諾していただき、とても助かった。
 
新規の手技で、手持ちのサンプルが心もとなく、本当にありがたかった。
 
で、電話でそのサンプル送付法の打ち合わせをして、電話を切って、デスクでのんびりしていたら、電話の着信音。
 
電話に出ると、先ほどの先生からだった。
 
何か不都合があったか、と一瞬身構えたが、話は、うれしさが倍増するような内容だった。
 
その手技には専用の器具(機械)が必要で、その初期投資に、決して安くない費用がかかるのだが、それを気の毒と考えていただいたようで、器具(結構高価)も貸与できるということで、サンプルと一緒に送っていただける、というまことにありがたい申し入れだった。
 
この先生、ひとの立場に立って物事を考えることができる、思いやりの心、にあふれた方のようだ。
 
これまでの会話を通じで、温かい人柄であることは感じていたが、それを確信させてくれる電話だった。
 
久しぶりに、清々しい気持ちになれた。
 
アベの何とかという社会を金まみれにする金持ちのための政策が強行されており、加えて、危険な思想背景を持つ極右の総理大臣が、天皇国家主義、の実現と核武装のための原発再稼働に踏み出そうという社会状況から、暗い日々が続いているが、それとは真逆の、心の動き、に触れて、単純に感動した。
 
その先生にとっては、特段、徳になるものはなく、厄介なだけだが、こういう心配りは、思わず、ほろり、としてしまう、大げさに言うと。
 
確か、その先生は、元は小児科医だったはずで、やさしい心根の方なのかもしれない。
 
小児科医だからと言って、みんながやさしい訳ではないが、その先生に関しては、そのバックグラウンドに結び付けて考えたくなってしまった。
 
忙しい日常の中で、今回のような、他人のちょっとした思いやりに触れると、とても励まされ、元気が出る。
 
いま、科学研究の場では、科学とは無関係な騒動が持ち上がっていて、見るに堪えないが、そういうものとは無縁の人生をこれからも歩んでいきたいと思う今日この頃である、社会の片隅に生きる、貧乏研究者としては。