学校選択制と中高一貫校Ⅰ

私がかねてから危惧している、市場原理、新自由主義的思想を教育に導入することの危険を、学校選択制中高一貫校という視点から、藤田英典 東京大学教育学部長(当時)が、公の場で表明している。
 
以下に、それに関する記事を、ひょう吉の疑問、というブログから転載する(リンク参照のこと)。
 
 
 
賛否は別として、ひょう吉氏は、教育や政治に関して、深い造詣と的確かつ厳し批判眼をお持ちの方と推察する。
 
藤田氏は、学校選択制や受験対策に特化した公立の中高一貫校が矢継ぎ早に計画され、実行に移されることを心配している。
 
当然である、これら私立進学校を完全に模倣した受験対策校は、まさに、市場原理思想に基づいて運用される性格のものであるからだ。
 
かつ、学校を選択制にすることにより、地域という、人間が生活し、成長していく上で重要な単位を破壊する可能性があるのだ。
 
百歩譲って、公立の中高一貫教育が、中等教育にふさわしいと主張するなら、なぜ、全ての学校を、一貫校化しないのか、その説明が全くなされていない。
 
もとより、全てを一貫校化することなど、絶対にあり得ないのである、なぜなら、特定の社会階層の人間と、それに憧れ、付き従う者達にだけが、入学できるような仕組みになっているのだから。
 
そして、今、この藤田氏の心配は、現実のものとなっている。
 
藤田氏の言説をじっくりと読んでいただきたい、そして、今、自分の周りで実際に起こっていることを省みられたい。
 
個性化とか特色、というまやかしに振り回され、教育の本質を見失い、苦悩する大多数の、普通の人たちを尻目に、人間の選別と特権階級の再生産が、支配階層の思惑通りに進行する現実を、多くの普通の人達は、どう考えているのだろうか、体よく利用されていることに気がつかないのであろうか。
 
転載、ここから。
 
 以下は「教育改革国民会議」での議論である。これを読むと教育に関する一般的な良識がいかに荒っぽい議論で無視されていったかが読みとれる。 良識的で中庸をふまえた藤田英典氏の考えが、政治的に用意された私学と産業界からの包囲網のなかで、孤立無援の状態に陥っていたことがうかがえる。
 私はこの議論が行われる約一ヶ月前、教育改革国民会議の地方での公聴会(一日教育改革国民会議と名付けられていた)を聞きに行ったことがある。その公聴会では物々しい警備のなかで、一般参加者(事前に手続きをとり入場許可証を持った者)からの発言さえ一切許されなかった。文字通り、時間通りに幕が開き、時間通りに幕が下りた。いわば一種の儀式であった。すでにそういう声はあったのだが、実際に聞いてみて予想以上の儀式ぶりであった。
 「ははーん、これで一般国民の意見を聞いたということになるのだな」と思った。「何のために、わざわざ時間をかけてこんなセレモニーを聞きに行ったのだろう」という空しさが残った。
 私は教育学を志す研究者たちの間で、藤田英典氏を応援する声は徐々に高まっていくだろうと思っていたが、半年経ち、一年経ち、ついに新学習指導要領が実施された今年の4月になっても教育学会のなかで反発が強まっているという声は聞いたことがない。現場は混乱しているのに、この教育学研究者たちの静けさは一体何なのだろうと、その静けさが不思議でならない。
 私はここでの議論は必ず将来に禍根を残すだろうと思っている。もしかすると日本の教育の良識が「曲学阿世」の徒によって踏みにじられた瞬間かも知れない。何か絶望的なものを感じている。
 以下抜粋する。
 
第11回教育改革国民会議議事録より(平成12年11月30日)
http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/dai11/11gijiroku.html
藤田英典 東京大学教育学部長】
 私は第2分科会でも一貫して反対をしてきましたし、この中間報告の中でも後の方に異論があったということも書かれてはいるわけですが、今でも特に、学校を評価し、その結果を公表し、そして学校選択制を認める、促進するという、この提案については非常に強く反対したいと思います。ぜひとも削除してほしいと思っております。
 ①「各々の学校の特徴を出すという観点から、外部評価を含む学校の評価制度を導入し、評価結果は親や地域に公開する。通学区域の一層の弾力化を含め、学校選択の幅を広げる」という提案と、
 ②それから第3分科会の提案のどこかに中高一貫校を半数近くにするという提案があったと思いますが、
 この2点につきましては、日本の学校教育の在り方、そして地域と学校との連携の在り方、さらには親御さんたちの学校というものに対する構えそのものに非常に大きな変化をもたらす。それは、保護者が積極的に学校に関わっていくというよりも、好ましくない学校を避けて自分たちの好みに合った学校を選んで行く、地元の学校はどうでもいいという、そういう構えを拡大するだけである。
 更に、特に中学校におきましては、学校選択の自由化というのは、日本の状況では特に都市部では、ほぼ確実に学校の序列化を促進する。なぜなら、例えば東京などでは、私立中学は特色ある学校であるはずなのに、それにもかかわらず序列がはっきりしており、そして激しい入試競争が展開しているわけですから、その1点を考えても、中学校の選択の自由化というのはそういう結果をもたらす可能性が非常に大きい。
 高校や大学でもそうでして、それぞれにカリキュラム面でも校風の面でも非常に特色があるにもかかわらず序列がはっきりついており、そのことの故に受験競争が加熱化してきた。しかも、この30年それを変えなければダメだといって改革を進めてきたと思いますが、それにもかかわらず、ここで更に中学校段階から、あるいは小学校段階からそういう状況を作り出すということが好ましいとどうして言えるのかまったくわかりません。ですから、そういう意味で私は、これは非常に危険な制度改革だと思いますので、できれば削除していただきたいと思います。

 それともう一つ、非常に重要なことですが、第1分科会の提案と絡んで奉仕活動の義務化等が言われてきました。私はそれについてはこれ以上反対意見を申し上げるつもりはありません。しかし、その趣旨はわかっているつもりですが、その提案の理由ないし背景として言われてきたこと、例えば青少年の非行や暴力や犯罪というようなこと、あるいは苛立ち、むかつくというような状況、その他さまざまなことが言われているわけですが、そういったさまざまな現象が欧米諸国と比べて本当に日本の状況が際立って悪いのかということをもう一度確認していただきたい。

 つまり、欧米諸国の方がもっと悪いのではないかということです。先日もドイツの研究者と話しておりましたら、ドイツにおきましては日本よりもはるかに青少年の犯罪や暴力は多い。日本の方がはるかに事態は健全であるという風に思われるのに、なぜその基盤になっていると思われる小中学校の教育の在り方を変えようとするのかわからない。

 ドイツにおいては、これまで学校を「学習の場」としてとらえる傾向があったわけですが、そういう考え方を改め、「生活の場」として再構成し充実するという動きが出てきている。これは国研の研究者の方も最近報告しておりますが、事実そういう動きがこの5年ほど強まっているところであります。そういうわけで、もし本当にこういうさまざまな青少年の問題行動や反社会的な行動というものの水準が日本のほうが低いとしたら、その低い理由は何かということを見極める必要がある。

 私は、それは1つには、日本の学校教育、特に小中学校の教育の在り方にある、日本の学校がこれまで支えてきた何かにあると思っていますが、そこのところをこの学校選択制中高一貫校の拡大は大きく変えていく危険性があると思います。
牛尾治朗副座長 ウシオ電機会長】
わかりました。この議論は第2分科会の時にも既に藤田委員の方から議論があって金子委員の方からも御答弁がありましたので、委員の御答弁はちょうだいしませんが、梶田委員どうぞ。
【梶田叡一 京都ノートルダム女子大学学長】
それではもう結構ですが、ただ一言だけ。もう既に何度も申していますが最後ですから。  色々な意味で保護者が学校を選択することを回避するというのは、そのために、選択の前提になる個々の学校についての情報を、学力も含めて知らせないようにするということは、非常に困る議論ではないか。私はやはりそのことをもう一度念を押しておきたいと思います。これはどういうことかと言いますと、結局その論議を推し進めていきますと、学校の選択を不可能にしてあらゆる意味で画一的にせざるを得なくなる。しかし、それはどうせやれるとしても公立だけのことなんです。今まで学校選択を回避した場合、例えば京都の高等学校がある時期それをやったわけですが、そういう場合どうなったかというと、みんな私学に流れたわけです。
 ですから、その論議は私はわからないではないけれども、結局は子ども達が私学に流れて、私学がそういうものを引き受けて、私学そのものが歪んでしまうわけです。私学が歪んで建学の理念を追求できなくなってしまう。結局、受験校になってしまう。ですから、私はこれは繰り返されたことですけれども、やはりこの段階で一言申し上げておきます。色々な意味での選択可能性は増やしていって、画一性は避けていって、保護者あるいは本人が賢く選択できるような、そういう仕組みにしていかなければいけないんじゃないかと思うので。
牛尾治朗副座長 ウシオ電機会長】
他の点も含めて御発言はございませんか。
【田村 哲夫 学校法人渋谷教育学園理事長】
藤田先生のお考えはよくわかるんですけれども、中高一貫のことを少し誤解しておられるんじゃないかという気がしますので、一言申し上げさせていただきます。
 中高一貫と言うと今、大体受験校でエリート学校でという印象が非常に強いんですね。それは代表的な学校にそういう学校があるというだけであって、基本的に現在行われている私立の中高一貫のほとんどは高校入試がないということがメリットになっています。そうでなければ、大学までくっ付いている。そんなにエリートということではなくて、安定した教育環境を12歳から18歳の間に選びたい。試験で追い立てられるのは嫌だという親の選択が基盤にあるわけです。ですから、お調べになればわかりますけれども、中高一貫校のほとんどがそういう学校なんです。それで、公立にそういう学校があってもいいんじゃないかと個人的に私は思っているわけです。高校入試があるというのが必ずしも良いとは思いませんので。ですから、ちょっとそこのところは現状に対する誤解がおありになるんじゃないかという気がします。
 【藤田英典 東京大学教育学部長 】
 私は、これは誤解というものではなくて、見方の問題だと思いますが、とにかく第2分科会で繰り返した議論をここでまたするつもりはありませんが、2点指摘しておきたいと思います。
 今、田村先生がおっしゃられたようなタイプの私立の中高一貫校におきましても、入試競争は激しいものになっていますし、その背景としては親御さんの意識や構えというものが非常に大きいということが1点。
 もう一点は、梶田先生は公立の小中学校は画一的だとおっしゃいましたけれども決して画一的ではなくて、それぞれの地域ごと、学校ごとに非常に個性がありますし、さまざまの努力をしていると思います。そういうさまざまな努力をしていくことができるように、個性的な特色ある学校づくりをしていくことができるように、もっと規制を緩和し、学校や地域の裁量権を拡大していくことの方が私は重要だと思います。
  
 
次回(Ⅱ)に続く。