都立中高一貫校の裏にあるもの

石原都政になってから始まった、エリート教育、を標榜する経済格差による教育格差を強烈に推進する教育行政の一環として、矢継ぎ早に設立された都立中高一貫校の受験動向に関する記事が目にとまった。
 
都立中高一貫校の入学試験に関しては、受験生に相当な高学力を要求しているのだが、そうではない、という誤った記事である点には注意を要する。
 
どうして、こんないい加減な、犠牲者を増やすような記事を書くのか、理解に苦しむ。
 
ともかく、その記事を、以下に引用する。
 
ご多分に漏れず、教育の中身を論じることなく、銘柄大学合格者数を弄くりまわすという内容であり、公教育のあるべき姿、公共性、を考慮した言説が、1つもないというのが、昨今の教育関連記事の特徴でもある。
 
経済状況を含めて、学校を自由に選択できる家庭の子供にとっては、公立の中高一貫校進学指導重点校が、銘柄大学合格を目指す手段の1つとして、人気を集めている。
 
ただし、これらの学校群は、入学準備、そして、入学後の継続的な通塾という、経済力のない者には無縁な“教育投資”が必要なのだ。
 
まさに、公立の中の私立進学校なのである。
 
これは、公教育が、一時期盛んにマスゴミを賑わした、学力増進、とか、国際化、という耳障りのいい言葉を使いながら、実は、銘柄難関校合格者数の増員を目標とした、完全に私立化した学校をその制度内に設けるという、“社会の多様なニーズ”に応じた結果なのだ。
 
私は、公教育には公教育の使命、受け持ち範囲があってしかるべきと考えている。
 
ゆとり教育批判に名を借りた、経済格差に起因する教育格差を、公教育が容認、あるいは、推進することに強い危機感を抱いている。
 
公教育の使命は、実質的に社会を支える大多数の普通の人に向けたものであるべきと考える。
 
決して、公教育全体を、私立進学校がやっている受験競争に巻き込み、特定階層の利益をは計ることではない。
 
公教育のレベルアップに名を借りた、人間の選別と切り捨て、そして特権の付与を、何の批判もなく、多くの普通の人達が受け入れている現状を、私は、全く理解できないのである。
 
日本人は、向上心が強く優れている、と散々洗脳されて、学力競争、受験競争が教育の本筋だと信じ込まされてきたが、もとから公明正大な競争などありもしないので、そこに大多数の普通の人達が参加することの愚かさは、火を見るよりも明らかなのである。
 
この受験競争の背後にある思想は、市場経済優先の思想と新自由主義思想だろう。
 
新自由主義が言うところの自由な競争とは、要件を満たした者、しかも、そこには経済に裏打ちされた富める者だけが参加できるものであり、大多数の普通の人は、その土俵に上がってしまうと、多大な消耗を強いられ、結局、敗退するのだ。
 
自分の周りを見渡してみるがいい、このインチキ自由競争に飛び込み、子供も親も、すっかりすり切れてしまった、普通の人、が大勢いるはずだ。
 
そして、その競争の勝者は、極極まれな例外を除き、富裕層なのだ。
 
教育を通して、多くの国民が今後の日本社会をどうしたいか問われているのであり、旧泰然とした、それも、明治から引きずってきた教育の名を借りた社会に無批判な国家主義者を増殖させる企て(教育とは言い難い)を今後も推進するのか、いま、決めるときなのである。
 
最近、銘柄大学合格者数に、社会の仕組みをどうするべきか、という議論が押しつぶされているように感じる。
 
とくに、危険視しているのは、大阪の橋下と、機に乗じて、国家主義国粋主義を強化しようとする、石原を広告塔にした一派の動きである。
 
いつもの結論になるが、ニッポン人とは、物質には執着するが、目に見えないもの、思想信条、社会正義などに関しては、つくづく自分の頭で考えることを拒否する、哲学のない集団、と私は考える。
 
その国民性が、公教育の学力増進に名を借りた、奴隷、養成教育につながることを、多くの普通の人達が全く気がついていないことにあきれ果てる毎日である。
 
蛇足ではあるが、都立上位進学校の、東大合格者を含む、銘柄大学合格者数が減少傾向にあることをお気づきだろうか?
 
数名程度、東大の合格者を出していた学校が、このところ、皆無、という状況が見られ、それに対して、日比谷高校や都立中高一貫校の合格実績が著しい向上を示してるのだ。
 
上位校といっても、いわゆる進学指導重点校ではなく、その次にランクされる、地域に密着した、そこそこの進学校のことである。
 
中高一貫化されたそのランクの学校は、今後、若干の東大合格者を含む、銘柄大学合格者を送り出すかもしれないが、その他の学校では、入学者の偏差値を含む、あらゆる学校力が低下することが懸念されるし、すでに、その兆候が顕在化している。
 
これを重大事と考えない、自分の子供だけは別もの、という自信満々の親がなんと多いことか、東京都はそういう地域である。


都立中高一貫校人気に拍車でも入学辞退者さらに増加する理由

ダイヤモンド・オンライン 3月19日(月)8時30分配信
 昨年、都立初の中高一貫校として卒業生を出した白鴎高等学校附属中学は初年度に東大合格者5名を輩出し、教育業界はいわゆる“白鴎ショック”に沸いた。

 白鴎は今年も3人が東大に合格したが、白鴎に続いて今年初めて卒業生を出した小石川中等教育から4人、同じく桜修館中等教育と両国高等学校附属からそれぞれ3人の東大合格者が出た(東大合格者数はすべて大学通信調べ)。

 これで都立の中高一貫校の人気に拍車がかかるのは確実だ。

 そもそも中高一貫には、中学校と高等学校の課程を統合した一体型の「中等教育」と、同じ設置者が中学校・高校を併設して接続する併設型の「附属中」、そして設置者が異なる中学校・高校が連携する「連携中」に分けられる。

 現在、都内には公立の中高一貫校が11校(都立10校、区立1校)ある。そのすべてが中等教育と附属中である。今年の志願倍率は最低の中学でも5.3倍、最高では8.0倍という高倍率だ。私学の雄である早慶の付属中学の一般一次(男子)の志願倍率が3.3~6.3倍であることを考えれば、圧倒的な人気を誇っている。

 それも当然のことだろう。都立の中高一貫は、授業料は公立で、カリキュラムは私立。教育のいいとこ取りを実現したものだ。公立ながら、学区の縛りはないし、脱偏差値教育の理念から、入学試験は学力テストではなく、「適正試験」と呼ばれる独特の試験を行うため、学習塾による入試対策の効果も薄いというのも追い風だ。リーマンショック以降の不況で学費の高い私立中学の志願者数が減っているのとは裏腹に格安な都立の中高一貫が人気を集めているのだ。

 ただし、不可解なのは、人気の都立中高一貫に合格しながら、入学を辞退する志願者が少なくないことだ。2010年に98人、11年に88人、12年に92人と、都立10校で約1400人いる合格者の7%前後が、入学手続きを行っていない。しかも、入学辞退者はさらに増える可能性が高まっている。

 じつは、種明かしをすれば、これは「国立中学や難関私立中との併願者が多数いて、彼らが合格辞退しているため。今や、都立の中高一貫校は、四谷大塚の偏差値60~65クラスの難関校志願者の併願校になっている。公立がこれだけの合格実績を上げたから、併願層のレベルはさらに上がる」(森上展安・森上教育研究所代表)という構造になっているからだ。

 というのも、東大合格者がまだ5名前後とはいえ、これが公立校で達成されたことは大きな意味を持つ。私立の中高一貫校の中には、特別進学コースや特待生制度を設けて、一部の学生だけが東大合格を目指すところも少なくないが、“平等”をモットーとする公立の中高一貫校は生徒の学力が均衡するため、「東大合格者が5人いるなら、他の国公立にも多数の合格者がいるだろうし、全学生の2~3割は早慶クラスに合格する」(森上代表)と予測されるからだ。

 「適正試験」で玉石混淆になりがちな生徒層を擁する公立校が難関校合格者を輩出する状況は私学経営者には脅威に映ることだろう。また年間50万円をゆうに超える私立の学費を考えれば、ほとんど無償に近い公立の学費は、この不況下で保護者に極めて魅力的だ。

 それゆえ、今後も都立の中高一貫と私立難関校の併願は増えるだろうし、場合によっては難関校を辞退する可能性も十分あり得るだろう。実際、都立の中高一貫校の中には、「早慶クラスを蹴って、うちに来る学生もすでにいる。いずれ最難関クラスからも来ることになるだろう」と広言する校長もいるほどだ。

 すでに忘れ去られてしまっているかもしれないが、公立の中高一貫校設置が可能になった1998年の学校教育法改正時、その設立の理念は「ゆとりのある学校生活の中で生徒の個性や創造性を大いに伸ばす」というものだった。だが現実には、東京都を筆頭に、中高の6年を難関大学受験一辺倒という、私立の中高一貫と大差ない状況になっているのが実情だ。理念よりも、“御利益”優先というわけだ。

 ちなみに、今年の東大合格者を見れば、都立校からは日比谷が26人、西が22の合格者を輩出、都立高校の復権も進んでいる。また、埼玉県立浦和校が39人、千葉県立千葉高校が30人など、首都圏の公立校も健闘している。

 都立、ひいては公立の中高一貫校人気と公立校の復権で、受験の勢力地図は大きく塗り替えられようとしている。

 (「週刊ダイヤモンド」編集部 小出康成)