日本の牽引車、トヨタだったはずだが、タケナカさん

コイズミ、タケナカ体制の時、トヨタは、日本経済の牽引車の象徴として、特別待遇を与えられ、かなりの蓄財がなされたはずだ。

ところが、金融危機の際、季節労働者を、有無を言わせず切り捨て、自己保身に走った。

あれだけ税金面で優遇されておきながら、社会に還元しないという、さもしい企業体質が明らかとなった。

その一方で、排気ガスをばらまき、騒音をがなり立てるF1なる、無駄なショーには莫大なお金をつぎ込んでいる。

そして、今回、主力製品のプリウスなどで、欠陥に対する対応の遅れが、日本ではなく、米国で、厳しく追及されている。

日本ではなく、米国で、という点が、いかにトヨタという企業が、日本国内においては、特別待遇が与えられており、諸事にわたって免責されているかが、うかがわれる。

日本は、米国のような訴訟社会にはなっていないが、それにしてにも、人命に関わるような欠陥を認識しておりながら、その公表が遅れたことには、この企業が人命を軽視している、と見なされてもいたしかたないだろう。

エコという詭弁に乗って、プリウスは生産が追いつかないほどの販売を記録したらしいが、富裕層の消費を少しは刺激したかもしれないが、結局は、大企業と富裕層の間だけでお金のやりとりが行われているだけで、その経済的効果が、ごく一部に限られていることは明白である。

下に向かってお金が流れない仕組み、である。

金がなければ車も買えないし、いくらトヨタが潤っても、それを貯め込むことを政府が(自民党政権時、いまも変わっていないだろう、だけら民主党はダメなのだ)支援しているのだから、下が潤うはずもない。

何をトヨタに求めたのか、あの連中(骨太などという詭弁を弄する輩)の、日本改造計画の冷酷さと冷淡さには、改めて戦慄させられる。

このブログにも、トヨタをはじめとする大企業を、日本経済の牽引車として、ほめあげる書き込みをした人がいたが(なぜか内緒だった)、そういう勝ち組を擁護する人々の社会を見る目の冷酷さと、論理的であればすべてが許されるという、実態とはかけ離れた社会観が、この社会を席巻している。

教育もしかりである。

このような冷酷な社会観で育った富裕層の子供が、高学歴となり、社会において、よい地位を占めることが繰り返されることにより、日本社会は、希望のない、超格差社会に陥ってしまうだろう。

いまこの流れを止めるときなのだが、自民党のちんけな策謀に簡単に乗る有権者では、無理だろう。

社会全体の安寧と、慎ましくも、心豊かな社会は、魅力がないのだろうか。

スパコンではないが、何が何でも、世界一でなくてはいけないのか。

巨大企業が、社会的責任を果たさない日本では、政府が、それをやるしかないのだが、どうも、動きが鈍い。

現政権は、コイズミとタケナカを国会に呼んで喚問し、トヨタ保護政策の功罪について、全国民に判断を仰ぐべきだと考える。