あとは石原の追放

オリンピック誘致に200億近いお金を使い、すべてどぶに捨てた都知事に対する批判がなぜ起こらないのか。

それ以前にも、なんとか銀行を強引に造っておきながら、大赤字を計上し、平気でいるこの都知事は、一体何者なのか。

東京都は、私の感覚では、一風変わった国民で構成されているようだ。

無責任、自己中心的思想、選民思想、特権階級の保護、格差社会、教育格差の促進など、東京都民は、すべて受け入れている。

私が何時も話題にしてる都立高校にしても、よい教育環境を得たいなら、自分でお金を使って子供を教育し、完成品である通塾した子供を、都立高校の、それも、特権高校に入学させますよ、という驚くべき政策を、何の恥じらいもなく、堂々と公言し、いまだに格差教育を促進し続けている。

ごく少数の特権階級のための公教育、いや、私学と同じ発想の経営方針(とても教育方針とは言えない)が、東京都、いや、全国の公教育の実態である。

200億あれば、高校進学が困難な子供たちを、どれだけ救えたか、バカな都民と、石原に協力した、一部運動選手は、よく考えて欲しい。

私は、今回石原に荷担した運動選手を、絶対に応援しないし、日本国民とも思わない。

彼らは、石原国国民である。

ひとの痛みに思いをいたすことができない運動選手など、消滅してしまえばいい。

ひとが生きていく上で何が必要なのか、運動ばかりしていて、考えたことがないのだろうか。

富の分配がキチンとなされず、富裕層に金余りがあるから、オリンピック誘致などという、お気楽なことを言い出す輩が出現するのだ。

富裕層から、もっと税金を取る政策に転換すべきだ。

コイズミ以来、十分に優遇された富裕層には、お金がごろごろしているはずだ。