前回の続きです。
「帰らぬ日遠い昔」の中で、面白いことが書かれていました。
日比谷高校が学校群の導入で急激に凋落した原因は、日比谷が東大にはいるための機関だったから、という分析です。
なるほど、と思いました。
学校群制の導入で、日比谷→東大の最短コースを、実力でつかみ取ることが難しくなった訳ですから、人が集まらなくなるのは当然ですね。
なによりブランド(実績に裏打ちされた)が重んじられるということを、当時の教育行政は理解できなかった、あるいは、都立高校というブランド力に、過大な自信があったのかもしれません。
つまり、私立高校を見下し、都立高校こそ教育の王道で、民衆は必ず都立を選択すると考えていたのではないでしょうか。
ところが、成績優秀者は、東大への可能性を追求するため、同等か、それに準ずるブランド力のあった国立と私立の上位進学校を選択するにことになったのです。
林望さんの高校は、彼の言によれば、イギリスのパブリックスクール的な雰囲気があり、東大一辺倒ではなかったので、学校群導入後もそこそこの進学実績を残したらしいです。
確かに、彼の学校は、凋落する都立高の中で、最後の輝きを放っていました。
実は、学校群制度が都立高の凋落を招いたという箇所より、私は、イギリスのパブリックスクールという表現に、いたく心を動かされたのです。
高校生の頃、担任のS先生に勧められて読んだ「自由と規律」(岩波新書)というイギリスのパブリックスクールでの学生生活を紹介した本のことが思い出されたからです。
高校生の私は、その本を読み、パブリックスクールは「自由と規律」の意味をたたき込むことが、その重大な目標のように感じました。
なんだか、身震いするほどストイックで格好いいと思ったのです。
そのころの私は、ストイックに憧れたいのです。
パブリックスクールは単なるやせ我慢ではなく、ユーモアがあり、かつ、文武両道をめざし、とてもバランスのとれた場と思えたのです。
パブリックスクールは長年かかって育まれた伝統を通じて、「自由と規律」の意味を理解させるすばらしいところと、高校生の私は考えたのでした。
一冊の本の知識では、本当のところは分かるはずもないのですが、自分の身近にはない、気高い、静寂な教育空間が、遠く離れたイギリスにあることを知り、カルチャーショックを受けたのです。
心底、行きたい、こんな所に、と高校生の私は願いました。
そんな昔読んだ本のことが、林望さんの本の一文から思い出されたのでした。
パブリックスクールは、基本的には、上流階級のものですが、英国を支えるエリート養成機関としての機能を果たしていたようです、その昔は。
現状は知りませんが、英国の格差社会がそう変わるとは思えないので、きっと、同じような学校生活が続いているのでしょうね。
林望さんは、ご自身の出身校と英国のエリート養成校を比べて、自由な雰囲気という共通点があると、書いていました。
たぶん、というか、そうあって欲しいのですが、しっかりとした規律や責任感に裏打ちされた自由が、林望さんの高校には息づいていたのでしょう。
パブリックスクールは、英国では格差社会の象徴かもしれません。
でも、人間を鍛え、育てる場として、私には、魅力的に思えるのです。
最後に、いつもの話になってしまいますが、果たして今東京都がやっている進学重視の学校改革は、才能ある生徒に、自由と規律を教育し、実践させる場となっているのでしょうか。疑問です。
ここまで書いてきて、ふと思い出しました。
もう卒業し、医者になっていますが、何時までも心に残っている学生の一人に、林望先生の高校の出身者がいます。
あの学校が、受験重視型にシフトする以前の卒業生です。
色々な意味で、ほんとうに良き医学生でした。
彼女によると、周りはがちがちの受験体制の私立中高一貫校で過ごしてきた人ばかりで、自分の高校時代の楽しかった思い出を話すと、その自由さに驚かれたようです。
あの高校は、勉強以外も、すごいですから。
彼女を見ていると、受験には苦労しますが、人間を育てる場としての都立高校のよさを感じました。