「帰らぬ日遠い昔」の書評は、果たして書評か?

人間、注意しないと、自分が身を置く環境のステータスを自分の評価と勘違いして、傲慢な振る舞いをすることがある。
 
この思想傾向がある人物は、いい年をしても、自分の勘違いにいつまでもすがりつき、他人からの攻撃に対して異常な反撃を試みる。
 
インターネット上の学歴サイトで日夜繰り返される誹謗中傷合戦は、こんな幼稚な思想性を反映したものだろう。
 
帰らぬ日遠い昔 林望著、は都立上位進学校である戸山高校を舞台とした、どこにでもいる生徒たちの、誰でも経験したであろう高校生活が、上位進学校の生徒に共通するある種のプライドを匂わせながらも、ノスタルジックに描かれいて、私のお気に入りの作品である。
 
ああ、似たようなヤツがいたなあ、自分も似たような経験をしたなあ、と誰でも共感できる内容である。
 
とは言っても、50年以上も昔のことであり、現在とは社会的背景も教育環境も大きく異なっている。
 
初版本を探して購入したし、文庫も何冊か持っている。
 
初版本は、生物の先生(蝶の研究者として有名で、都立調布北高校の初代校長)のエピソードのところで、遺伝子の構造について語るくだりに著者の思い違いがあったが、後の版で、きちんと訂正されていた。
 
初版本は、そんな意味で価値があると私は勝手に悦に入っている。
 
感想は読み手により大きく異なるので、詳しくは述べないが、ネット上に投稿された書評に、どうも偏向的な内容が多いことが気になる。
 
作品の内容に関する感想はほんの僅かで、都立進学校学校群制度の導入と受験教育の制限により東大合格者が激減した、という大学受験の結果をあげつらい、その進学実績の凋落?の原因を、学校群制度の発案者である、当時の教育長の小尾寅雄と日教組に帰するという、あまりにステレオタイプの批判が展開されている。
 
書評の内容が、学校群制度日教組への批判に終始しており、余程の恨みを持つ者なのであろう。
 
私の勝手な妄想であるが、同じ人物による投稿なのではないだろうか、ネット上ではよくある宣伝工作だ。
 
親が高級官僚であり、親戚にも高名な学者がいる著者であることから、いささか鼻持ちならないプライドを持っていることは感じ取れるが、それを差し引いても、本質的には、何時の時代も変わることのない高校生活が素直に描かれている。
 
書評の御仁は、そんな作品を、どうして都立高校の凋落?(要するに東大合格者が減ったこと)と結びつけたがるのか、私には理解できない。
 
そして、そんな偏向的な書評を読んだ感想が、この記事の最初の部分である。
 
学校群制度と都立高校の凋落?に関する私の考えは、以前、記事にしたのでここでは割愛するが、昔を懐かしむあまり、公教育であることを無視し、社会の変化を正しく見ないという態度は、現状の公教育を破壊する活動(莫大なお金を必要とする学力向上競争、必ず富裕層が勝利する)を助長し、いや、推進する原動力となっている、と私は考えるのだ。