世の中の流れについて、ふと思うこと

久しぶりの投稿だ。

 

最近、あの令和のブラックホールが射殺され、その仲間が次々と検察に告発されている。

 

真偽の程はわからないが、もし、あの人物が不正の告発の歯止めになっていたなら、日本社会とは、非常に後進国だということだ。

 

後進国と言うと、差別的になるかもしれないが、社会常識、倫理観、社会正義、民主主義、といった、社会の基本的枠組みを決めている、多くの要件において、不正、が権力者によって堂々と行われている国家、という意味だ。

 

現代史の勉強が足りない自分であるが、明治から令和までの時代の流れにおいて、日本社会が真に民主的であったことが無かったのではないかと思う。

 

私の浅薄な歴史観では、明治は、侍という利権組織の内部対立であり、その勝者が、統治に都合のいい、国家主義、に突き進み、西洋列強の帝国主義を模倣することで、勢力拡大を狙ったところ、西洋列強との利害が衝突し、結果、戦争という手段で潰されたのが、先の大戦だったという、単純なものだ。

 

そして、戦勝国の属国という地位から抜け出す努力をせず、吸い取るだけ吸い取られ、すっからかんの一歩手前が、現状だと考える。

 

権力者は巧妙にこの事実を隠し、適当に物質的豊かさ投げ与えることで、不満を上手にコントロールし、自分たちの意に反する社会状況になることを恐れ、組合運動を潰し、資本家に都合のいい非正規労働者を増やすことで、さらに、労働者の連帯を分断するという手段に踏み出したと感じる。

 

中曽根あたりからこの企ては本格化し、着々と進行し、小泉と竹中コンビにより国民は騙され、のせられ、あとは、安倍によって、仕上げとばかりに、言論統制、極右化、によって国家主義へと追い込まれて行った。

 

そして、無能な権力者による既得権の死守だけが大手を振ってまかり通る社会を国民が容認してしまい、現在に至る。

 

なんとも、虚しく、希望のない、国じゃないか。

 

自分の世界だけに閉じ籠もって死を待つ自分しか想像できないのが悲しい。