明治期に文明開化?すると同時に、ニッポンは国民生活を犠牲にして、軍備を増強に邁進し、高価な軍艦を次々と購入した、西洋列強(英国)の思惑にはまって。
そして、軍事力を背景に、西洋列強を見習い、帝国主義、へと一気に突き進み、富国強兵、というスローガンのもと、アジアへの侵略を開始した。
その結果、何が起こったかというと、利権が対立することとなった西洋列強に、徹底的に叩き潰され、多くの国民の生命・財産が失われた。
帝国主義を象徴するものとしては、軍艦、ではなかろうか。
巨大で強力な軍艦を、国民生活を犠牲にすることで、増備し、その挙句、すべてが灰燼に帰したのだ。
軍艦は、まさに、富国強兵政策という国策の産物だったのだ、つまり、国民を犠牲にしても、すべてに最優先されるもので、それに伴う不利益は決して追及されることは許されず、国民はただただ、国家、に隷属することが要求された。
ニッポンの軽水炉では核兵器用のプルトニュウムは作れない、などという、くだらない議論を吹っ掛ける輩がいるが、ニッポンで運転中の原子炉を用いて、その使用済み核燃料から核兵器の材料となるプルトニュウムを調製することは、もはや確立した技術であり、ニッポンはその技術を手にしている。
核を求めた日本、というNHKのドキュメントで明らかにされたごとく、1950年代から、綿密な核兵器製造計画が動き出していたが、その後どうなったかは、不明、なままであり、地下に潜行して進められた、と考えるべきだろう。
実際、ニッポンは、早い段階で、試験炉という形で、東海村の原子力施設で、増殖炉、を運転すことで、核兵器用のプルトニュウムの製造を完了しており、それを含めて、現在までに、世界中から危険視されるほど莫大な量のプルトニュウムを懐に入れた。
現政権、そして、闇の支配者が、高速増殖炉の、もんじゅ、にこだわり続ける理由は明解であり、核燃料サイクル、などはサギ口上に過ぎず、兵器級の高純度なプルトニュウムを得たいがために、核兵器を持たなければ一等国にあらず、と考える支配階層は、決して、この全人類を破滅に導く超危険な粗大ゴミ、をあきらめようとしないのである。
ついでに、ロケット技術、についても、莫大な国家予算を消費し、国民生活の向上そっちのけで、どこぞの小惑星に人工衛星を送り込むなどという、血税の垂れ流しによってミサイル誘導技術を確立して、いつでも核ミサイルを配備できる状況を作り上げた。
ニッポンは、世界中、どこにでもミサイルを打ち込むことができるのだ。
そして、3.11福島原発事故で全地球レベルで放出された放射能(放射性物質)によって国民は多大な犠牲を払わされることとなったが、国家のやつたことは、放射能汚染地域に住民を縛り付け、移動させない、しかし、十分な損害賠償はしない、という棄民政策である。
つまり、国策、である原発の人類史上最悪の事故は、事故などではなく、国民はそれを無かったものとして受け入れ、只々、事故前と同じく放射能を浴びて、汚染した食物を食べ、国家につき従え、という国家方針が、初めて露わになったのだ。
ニッポンとい極東の西洋列強にあこがれ続ける文明開化中の幼児国家が繰り出す国策とは、何時の時代も、非人間的で、国民生活を豊かにしたことなど決してないことを、政治に無関心な、バカな国民は少しも学ぼうとしない。