大回りで駅そばを食する

大回り(乗車)、という鉄道用語をご存じだろうか。

大都市圏(首都圏、大阪圏など)で、JRが定めた路線内を最低運賃でなるべく長距離乗車する、というものだ。

大回りには、JRが定めた決まりがあり、路線の重複乗車の禁止が基本で、その他、一見重複がなさそうな路線でも、事情によって、重複扱い、となる場合があり、注意を要する。

この辺の事情は、ありがたいことに、ネット上にあふれており、実施例とともに、画像付きで報告がたくさんあり、挑戦を計画する者にとっては、ありがたい限りである。

若いときには、首都圏の大回り、を何度かやったことがあるが、老いぼれてからは、すっかり忘れ去っていた。

で、久しぶりに、この大回りに挑戦してみた。

詳細は省くが、東海道線の某所に始まり、八王子を経て、高崎から両毛線で小山へ、小山から水戸線で友部、友部から常磐線で上野、そして、始発のひと駅前の駅に戻る、というコースである。

中でも、水戸線、は一番気に入っている、筑波山加波山の凛とした姿が望め、沿線の鄙びた風情もいい感じだ(以下の写真)。

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今回、乗車時間は、乗り継ぎ時間を含めると、8時間を超えており、不思議と尻も痛くならず、我慢できた。

若いときは、長時間、固いシートに座ってじっとしていることは結構つらいものがあったか、今回は、なぜか、苦痛に感じなかった。

若い鉄オタなら、いろいろな対処法や興味の消化方法(写真や動画を撮るなど)を心得ているのだろうが、老いぼれは窓外を眺めて、じっと座っているだけであった。

最近、ものすごくストレスを感じる環境にさらされていることから、どこか、壊れてしまったのだろうか?

まあ、鉄道の、ガタン、ゴトン、という音と揺れを心地よく感じる性質なので、老いぼれてますますそれへの嗜好が強まったのかもしれぬ。

前振りが長くなったが、記事のタイトルにある駅そばが本題である。

私が一番好きな駅そばは、あの超有名ブログの主であるきっこ氏と同じく、箱根そば、である。

小田急線を利用している方はご存じだろうが、箱根そば小田急系列の会社がやっている。

であるから、小田急線の駅とその周辺には、箱根そば、が結構ある。

とくに経堂駅の改札のすぐ横にある箱根そばは、新宿駅の店舗は除き、広々としている。

相模大野駅にはホーム上に店舗があって、それも、小田原方面に向かって、かなり前方にある。

箱根そばの何が気にっているかというと、そばと汁のバランスがすこぶるいいという点である。

注文を受けると、そばを茹でるのは普通であるが、めんがしっかりと腰があり、よくある駅そばのように、少しふやけて伸びたものとは大きく異なっている。

そばは腰が命である、腰がありすぎても美味しくないが。

汁もしっかりと出汁の風味が感じられ、悪くはないが、私は、汁に関しては、もっと気に入っている店がある。

それは常磐線の、というか、千代田線の、金町駅のホーム上にある、そば処、という駅そば屋である(以下の写真)。

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カツオの風味が強く、しっかりと、これでもかと出汁を取っているのではなかろうか。

そんなそば処であるが、そばが少々不満であり、箱根そばの麺だったら最高なのだが、とても残念なのである。

今回は、友部から常磐線に乗って、安孫子、まで行き、そこで鉄オタの間で評判となっている、弥生軒、という駅そば屋で(以下の写真)、名物の唐揚げそばを食した。

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食べ物の写真を撮るのは好きではないので、撮影していないが、しっかりと味付けのされた大きな鳥の唐揚げがのったそばである。

弥生軒唐揚げそばの写真は色々なブログで取り上げられているので、それを参照願いたい。

因みに、自販機でチケットを買うのであるが、唐揚げは1つにするか、2つにするか選択することができ、さらに、他のものをトッピングするという猛者もいる。

そばや汁は、私は普通に感じるが、なんといっても、その唐揚げの大きさが売りで、結構、満足感がある。

この時はアジア系の外国人グループがそばを食べに来ていて、トランクを引いていたので、日本旅行の途中、何かのガイド記事を見て、名物のそばを食べに立ち寄ったのかもしれない、安上がりでもあるし。

残念ながら、これまで経験したJRの駅の中にある駅そばで、心を動かされたものはあまりない、といっても、駅そば巡りが趣味でないので、偉そうなことは言えないが。

弥生軒は夕方だったが、実は、昼は高崎駅のホームにある駅そばで、かけそば、を食べた。

味はともかく、感じのいいお店だった。

これにて、大回りで駅そばを食するという記事は終わり。

戦争法案は一等国病に侵されたガキの劣等感から発している

ついに、維新の会の橋下、そして、維新の会、がその正体を露わにした。

自公の、国民主権はく奪、国家主義に基づく超格差社会構築政策への賛同を表明し、一体となって活動を開始した。

このブログでもさんざん繰り返してきたが、橋下というチンピラ弁護士は単なる飾りであり、その背後には、アベと同じ根っこがあると確信する。

維新の会とは、つまり、自民党別働隊であって、改革者、を装うことで、人心をつかみ、詐欺にかけ、一定数の政治基盤を築くことで、反権力、反利権、国民主権、という民主主義の実現を掲げる政治勢力から議席を強奪して、いざという時には、自民に豹変することで、国家主義国粋主義、の再興を目指す、邪悪な政治結社である。

今後は、自公維新、という、邪悪なトライアングル、がニッポン社会を、そして、日本国憲法を破壊し、大日本帝国と帝国陸海軍の再興に突き進むことだろう。

そして、その先にあるのは、飼い主様である米国の利権を守るために、代理戦争、に駆り出され、多くのニッポンの若者が死ぬということだ。

米国は、アベの祖父のような、戦争犯罪人、そして、最高権力者だった者の責任を免除し、驚くべきことに、第二次大戦後のニッポン社会の運営を任せるという暴挙に出た。

戦争犯罪人の責任を追及し、その誤りを正すことなしに免責したため、その末裔が、無反省、無批判に権力の中枢を占めてしまい、軍国主義国家主義、の暗黒国家に引き戻そうとしているのが今のニッポンである。

問題は、その末裔の、知性、人格、面相、すべてが著しく劣っている点である。

人間性の大きな欠落、弱者への思いやりが全くないなど、育った環境が悪すぎたのだろう。

そんな邪悪な人間たちが裏で蠢く支配階級は、右翼、保守、を標榜しながら、実際は米国の利益を最優先し、ニッポン国民の生命財産を平気で差し出すという、売国奴、であることは、昨今の戦争法案やTPPへの参加を見れば、明らかだ。

保守や右翼、極右、国粋主義、の仮面を被っているほうが、真の愛国者、正義を愛する真の日本人からの支持を得られると考えているのだろう。

彼らの本性は、飼い主の米国への異常な忠誠心である。

こういう妄想を書くのはどうかとは思うが、その忠誠心は、もしかすると、命と引き換え、なのではないかと思えるぐらいである。

逆らうとどうななるか、東京湾に沈められたり、異常者、無法者、というレッテルを貼られ、冤罪によって、社会的に抹殺されるのだろう。

実際、米国からの独立を目指した、小沢一郎鳩山由紀夫が、米国戦争屋(軍産複合体アーミテージやナイがそのエージェント)に操られた法曹界、そして経済界やマスゴミ(大手としては、読売、産経、電通など)によるネガティブキャンペーンによつて見事に潰された。

アベが強行しようとする戦争法案は、アーミテージのレポートのコピーであることは有名な話である。

それほど、米国によるニッポン支配は強固であり、その秩序?を壊そうとする者には、たぶん、命を含めて、徹底的に攻撃するという指令が、官僚を含めた支配階層には堅持されているように見える。

法曹界(東大法学部卒業者を中心とする)、経済界、マスゴミ、すべてが米国の邪悪な利権の(大統領とは無縁の場合もある)コントロール下にあるのではなかろうか。

ニッポン人の持つ白人(アングロサクソン)に対する劣等感が、超大国病、世界の一等国になりたい、という異常な情熱の源となっていると感じる。

そして、無理に無理を重ね、結局は、アングロサクソンの巧妙な罠にはまり、その野心を完膚なきまでに叩き潰され、結果として、下僕に成り下がる、つまり、飼犬になるのが、ニッポン、というコンプレックスの塊の、アジアの田舎者、なのである。

アジアの田舎者、と書いたが、田舎者というより、幼児、あるいは、ガキ、とした方がより適切かもしれない。

長州の、社会経験もない、本でしか勉強をしたことがない若侍、を大そうな思想家として歴史的な偉人に祭り上げたりする行動も、そのコンプレックスの表れではなかろうか。

長州出身の明治維新に関係した若者たちは、スッカラカンなのである、その正体は。

厄介なのは、司馬遼太郎、という歴史小説家が、自身の興味から、維新の若者を、分不相応なヒーローに仕立て上げてしまったことであり、彼の書いたことを史実と誤解している者が多数いる。

そして、維新の若者の、ひたすら西欧のコピーに執着する幼稚な心の隙間を上手く突いて、手なずけて(飼犬、売国奴)、思うがままに使い走りにする、というのがアングロサクソンの恐ろしく、戦略的で、巧妙かつ残酷な点である。

ポチの役に甘んじているうちはいいが、少しでも反抗すると、アングロサクソンは容赦しない、徹底的に叩き潰す、それが、第二次大戦の結末である。

この歴史的な過ちを再び犯そうとしているのが、現代日本の支配階層であり、その主役がアベなのである。

主役としては、すべての要件を備えている、知性と教養に欠け、ガキのまま大人になり、爺様の遺言を実現することだけを目途として国家を私し、米国に滅私奉公するという。

まずはポチに徹して、その後、必ずや邪な一等国病を発することだろう。

そして暴走が始まる。

自分の財産を差し出し、自分が死ねばいいのだが、国民の血税と無垢なニッポンの若者の命を惜しげもなく米国に差し出そうとしているのだから驚きである。

アベは、日本の歴史に、その悪名を残すことになるのは確実だろう。


アベクロのインチキ経済政策に踊る愚か者へ

タイトルの通りである。

安倍と黒田(アベクロ)が強行するインチキ詐欺経済の先にあるものはとてつもない悲劇のように思える。

ニッポンは米国に身ぐるみ剥ぎ取られ、それこそ沈没してしまうかもしれない。

稀代のホラ吹き総理と無能を絵にかいたような日銀総裁の、悪魔の二人三脚、でニッポンは崩壊へとひた走る。

この国家による詐欺を、明快に解説した記事を、あいば達也氏のサイトから引用する。

引用元:世相を斬る あいば達也

引用、ここから。

東京証券取引所 官製相場を逸脱、株価操作疑惑の領域に

東証日経平均が12連騰になった。中身はお寒いのだが、連騰と云う言葉が紙面に踊る。人生60年弱生きてきたが、こんな八百長相場には滅多に出遭えない。貴重な体験ではある(笑)。以下の日経証券部の記者も、署名入りなので、エクスキューズ含みの記事を書いている。「注意はしたでしょう?」と言わんばかりだ。

東証上場の株式の時価総額過去最高と速報で伝える提灯新聞だが、会社の上場の企業の数が、バブル当時と比べものにならないくらい増えているの無視だから、酷い話だ。オレオレ詐欺を批難する資格がないほど酷い。注目するのは、12連騰だが、中身を吟味してみれば、誰でもすぐに分かるからくり。自動売買が、最後に日銀及び公的資金を突っ込む仕組みなっている。個人で、提灯をつける奴はいるだろうが、海外資金が流入しているなんて、嘘八百だ。すべて、我々の金を、政府日銀が株式市場に突っ込んでいるに過ぎない。チャートを一望すれば、前代未聞のグラフになっている。専門家がそこに言及しない。政府も日銀もメディアも、全員株価操作の共犯だ。

証券取引等監視委員会に、政府を監視するシステムの導入が、今後叫ばれるだろう。彼らは、自動売買のプログラムが、高速取引で行っているので、人為的ではないと言い張るだろうが、プログラムが人為的なわけで、そのようなプログラムを作らせた時点で、詐欺である。しかし、以前のバブルとはまったく違う。あの時は、土地が上がり、株も上がり、ゴルフ会員権も上げ、給料ボーナス共に上げたのだから、誰もが気持の良いバブルだった。まあ、皆で最後は痛い目にもあったのだが、公正公平に、幸運も不幸も訪れたのだから、フェアである。

株だけが上がっていると云うのは、実は変なわけで、不動産、金融証券、給料すべてが連動しないのがおかしい。アベノミクスの犯罪的株価操作は限度を超えている。昨日は6円高、先週末は11円高?おいおい、いい加減にしろよ、官製相場通り越してるぜ! 最近の地震や火山噴火ではないが、日本人は未体験ゾーンに踏み込んでいるのかもしれない。日銀黒田も財務省も、先々の展望は皆無に違いない。もうここまで来たら、毒を喰らわば皿までも心境なのだろう。安倍なんてのは、経済も安保も、話を聞いて分かったが、百%知識を有していない。おそらく、提灯買いの個人と国家が株を買っている、トンデモナイ市場になるリスクを抱えた。数日中に、海外ファンドの猛烈な売りが仕掛けられるかもしれない。


≪ 日本株、驚異の粘り腰に潜む一抹の不安
証券部 武田健太郎
「相場の粘り強さは認めるが、不自然な感じもある」。日経平均株価が 27年ぶりの12日続伸を記録した1日、外資系の投信運用担当者はこう漏らした。前週末の欧米株安を受け、朝方は続伸記録は止まるとの見方が大勢だったからだ。実際、午前中には一時152円安となったが、午後に入ると値を戻し、結局は6円高で引けた。日本株独自の買い要因があるのは確かだが、海外市場など関係ないとばかりに上げ続ける相場に一抹の不安感もくすぶり始めた。 1日の日本株には手掛けにくいムードが漂っていた。まず米景気の減速懸念だ。前週末に発表された1~3月期の米国内総生産(GDP)改定値は前期比0.7%減と速報値(0.2%増)から下方修正され、米欧株が下げる要因になった。
 今週も海外発の材料が相次ぐ。米景気関連ではサプライマネジメント協会(ISM)製造業景況感指数(1日)、雇用統計(5日)の発表を控える。5日にはギリシャ国際通貨基金IMF)に対する借入金返済の期日を迎える。
 米景気が一段と減速、ギリシャが返済延期となれば世界の投資マネーが萎縮しかねない。「米欧のイベントの結果が出るまで日本株に買いは入れにくい」(ちばぎんアセットマネジメントの奥村義弘氏)。日経平均は午前に下げたのは自然な展開だった。
 潮目はこの日の安値を付けた午前10時頃だ。中国で5月製造業購買担当者景気指数(PMI)が改善したと発表され、上海総合指数が反発して始まると日本株の投資家心理も和らいだ。午後に入ると例によって日銀が上場投資信託ETF)買いに動くとの思惑が広がり、日経平均は切り返した。
 懸念材料を織り込む欧米株を尻目に、日本株は半月余り1度も下げていない。世界の緩和マネーは相対的に懸念材料が少ない日本株に向かう。「この会社の株を買いたいというのでは無く、消去法的に日本株全体を買う動きが強い」(国内証券)という。
 上がり続けるから売りを出しにくい、という状況に日本株はある。調整らしい調整を経てないだけにこの先、ギリシャ問題が深刻化したりすれば急落しかねないとの不安感もちらつく。
 相場にくすぶる不安を払拭するには、海外投資家が日本株を積極的に買う理由を増やせるかがカギを握る。きっかけとなりそうなのは6月から上場企業に適用された「コーポレートガバナンス・コード」(企業統治指針)だ。今月は3月期企業の株主総会が開かれる。日本企業の変化をアピールできれば、海外マネーを一段と引き寄せるとの期待も市場にはある。 ≫(日経新聞

何もかもメチャクチャ、戦争バカの幼児が総理大臣をやる国

集団的自衛権がどうのこうのと、騒いでいるが、ことは簡単なのだ。

米国と肩を並べる超大国になりたい幼児総理が思いついたことは、戦争を一緒に戦うこと、だ。

自衛隊員が死のうが、民間人がテロの標的になろうが、幼児総理には全く関心がないのだ。

米国のご機嫌をとりつつ、核武装をして、力で周辺国を威圧し、屈服させること、それがすべてなのであって、そのためには犠牲はいとわないと決めている。

幼児総理も、その相棒の高村も、米国の戦争で日本人が血を流せば、彼らが定義するところの、超大国、に近づけると妄想しているのだろう。

こういう妄想を抱く者とは、平和を祈念し、国民の生命財産を守ろうとする良識ある者の間では会話は決して成立しないだろうし、現に、国会での議論が全くかみ合っていないことを見るにつけて、アベとその不愉快な仲間たちの狂信的な戦争崇拝を確信させるには十分である。

やつらは戦争をやる気でいる、断言できる。

幼児総理のような売国奴の愚か者を手玉にとって、思うがままにコントロールする、米国戦争屋、のシナリオ通りにニッポンは動き出した。

そして、国民の命さえも、国益という詭弁を弄して、差し出そうとしている。

この邪悪な企みに無関心な国民のなんと多いことか、国民がこれほどアホだと、米国戦争屋、の仕掛けた尖閣問題に簡単に乗っかって、軍事力増強を声高に叫ぶようになる始末である。

米国戦争屋は、もとより、総理大臣を含めて、ニッポン人をバカ扱いしているから、そのあまりに幼稚で単純な反応に笑いが止まらないのではなかろうか、きっと、せせら笑っていることだろう。

幼児総理は、経済など全く無関心で(いや無知で)、国民の意識を憲法破壊と戦争準備から逸らそうとしている。

その目的のため、手っ取り早い方法は金をつかませることと考えたらしく、カネを増発してバブルを誘導し、官製相場で株価を吊り上げ、円安を誘導して、原資を持つ金持ちに、あぶく銭をつかませて、戦争準備と国家主義への協力を得ようとした。

アベクロによるインチキ経済政策はすでに破たんしていることは確実で、物価はますます上昇し、物的な経済の好転は少しもないのに、株や債券で大もうけした大企業や金持ちだけが、仲間内で、カネをやり取りして肥え太るという、まさにバブル状態が今のニッポンなのである。

カネはあるところからないところに回さなくては健全な経済は成立しない、いま、アベクロがやっていることは、単なる詐欺、である。

金持ちは株で大もうけしてウハウハ言っているが、庶民は、生存に必要な食品や消費財の度重なる隠ぺいされた値上げにさらされている。

隠ぺいされた値上げとは、きっこのブログによれば、値段はそのままで、60メートルだったトイレットペーパーをこそっと55メートル(いや50メートルか)にして何事もなかったかのように販売することだ。

こういった隠された値上げが庶民の生活を圧迫していることの元凶は、アベクロの、お友達だけを儲けさせよう政策、に他ならない。

幼児総理にとって大事になことは、金持ちの利権を確保することで協力を得て、疲弊しきった庶民を放置して、憲法を破壊して、あとは堂々と戦争準備をするということだ。

利権側の支配階層や自公支持者は明治から昭和にかけて、ニッポン、がアングロサクソンに操られ、最終的に、破滅的な戦争に突入していった経緯を何と考えているのだろうか。

戦争準備を着々と進める現政権は、現職総理の祖父が暗躍した植民地支配と、平気で国民を犠牲にする軍国主義の時代への真摯な反省など、どこにも見受けられない。

結局、戦争責任をきちんと取らせず、驚くことに、そんな邪悪な人間に国政を任せるなどという、あまりに愚かな選択をした、いや、させられたことが、今のニッポンにつながっているように思われる。

アベの邪悪な企みを阻止するためには、何かとてつもないことが、いや、天罰が必要だ。


箱根でツツジを堪能する

ゴールデンウィーク後の休日、箱根の小涌谷に近い、蓬莱園、にツツジ見物に出かけた。

今、箱根では、大涌谷周辺で噴火の兆候があり、立ち入り禁止区域が設定されていたりして、どうも落ち着かない。

そんな中、見頃を迎えたツツジを一目拝もうと、あれこれ雑音はあったのだが、覚悟を決めて、出かけることとした。

確かに、観測データは噴火の予兆?を予感させるのだろうけど、あえて火の中に飛び込むことはないが、ニッポンという世界有数の火山地震地帯に住む者としては、ある程度の覚悟が必要なのではなかろうか。

だからこそ、人類が製造した機械の中で、最低最悪の邪悪な原爆製造装置である原発を、こんな危険な国土に50基以上も設置するなど、まともな神経とは言えず、それを強行した自民党原子力マフィアは、おバカなニッポン人のみならず、人類すべてに対してとてつもなく大きな犯罪を犯してしまったと考えるべきなのだ。

原発を強行した連中は、最強の兵器を得て、力で他国を屈服させようと考えたようだが、基本、バカだったため、その危険性を全く理解できず、ただただ最終兵器を手にすることだけを渇望し、平和利用だ安全だと言って国民をペテンにかけて、挙句の果て、いまだに放射能をばら撒き続けるという人類最悪の福島原発事故を起こしてしまった。

少し、話しがそれてしまったが、ニッポン人は自国の危険性を正しく理解し、自然には抗うことはできないので、備えはするが、それと同時に、覚悟、が必要なのではないかと考えた次第である。

だからこそ、原発、などという自然災害で容易に破壊されるような、出来そこないの原爆製造装置などとっとと廃止し、リスクを可能な限り低減することが早急に必要だと思うのである、ニッポン人が生き残るために。

そんなことを考えつつ、小涌谷駅に到着し、そこから徒歩で蓬莱園に向かった。

以下に、園内に咲き誇るツツジの写真を載せたので、ご覧いただきたい。

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今を盛りにと咲き誇る色とりどりのツツジは、華美で、華やか雰囲気を演出してくれる。たまには、こういう目にも鮮やかで刺激的な風景も悪くないと思いつつ、園内をあちこち歩き回り、ああいいなあ、と直感した構図を、それこそどんどん写真に収めていった。

園内をひとしきり散策した後は、来た道を小涌谷駅に引き返し、途中から千条の滝へ分岐する道に入り、滝見物へ向かう(以下の写真)。

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空模様が怪しくなり、滝周辺は薄暗かったので、手っ取り早くフラッシュ撮影をしてしまったのだが、雰囲気はお分かりいただけると思う。

滝見物の後、さっさと温泉に浸かり行くつもりだったが、方針変更で、すぐそばの浅間山に登ることにした、頂上までは時間的には30分くらいだ。

滝の近くから、川を渡り、登山道に入る。ひと汗かいたら、頂上に到着、この山の頂上は広い草地になっていて、展望はよくないのだが、開放感があり、気持ちの良い場所である。昼寝にもってこいだ(以下の写真)。

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小休止の後、宮ノ下への下山道を下降する。どんどん進み、箱根登山鉄道の線路を横切り、富士屋ホテルの裏手に到着。

そして、一号線を辿り、二の平、の亀の湯へ。もちろん入湯のためである。女将さんが迎えてくれたが、入浴前に少しおしゃべりをして最近の様子を教えてもらう。

話し始めると止まらなくなるのだが、話しの切れ目を見つけて、入浴に向かう。そしてゆっくりと湯船に体を沈める。最高の時間である。

が、今回は、先客がいて、少し変わった方だったので、のんびりできず、少々、がっかり。このところ、独占、が続いていたのでその気でいたのだが、当てが外れてしまった。まあ、勝手な思惑だったのだが。

粘っていたら、先客もいなくなり、やっとのんびり湯を楽しむことができた、ああ、よかった。

で、入浴後、玄関のソファーに腰かけ、女将さんと話を始めたところ、ドーン、という突き上げるような振動に襲われ、ガラス戸がビリビリと音を立ててた。今回のは大きかったようで、お恥ずかしいが、いささか動揺してしまった。

その後も、何度か揺れを感じたが、女将さんの話では、連休の頃から周期的な振動が起こるようになったそうだ。テレビの報道でも、宿泊客が揺れに関しては、そのような話をしていたことを思い出した。

観光地にとっては、難しい事態になってしまったようだ。あとは、公が正しい情報を流してくれて、適切な対応をしてくれるかだが、私個人の感想としては、危険なものは危険とハッキリ宣言する勇気がもう少しあってもいいような気がする。

入湯後、彫刻の森駅に向かい、そこから登山鉄道に乗り込み、帰宅となったわけだが、乗客がいつもより少なく感じた。、

駅で会ったご夫婦は、宿泊を取り消し、帰宅することとした、と話していた。奥様が、強い揺れにびっくりし、とても不安になったようだ。状況分析に基づく自己判断で帰宅ということだが、多くの泊り客は特段帰る様子はなかったらしい。それもまた自己判断である。

そんなわけで、箱根に関しては、大涌谷にとどまらず、その周辺には観光客だけでなく多くの人が居住しているわけであるから、観測と警戒を厳にすることは必須の状況と私の目には映った。

美術館巡り

カレンダー通りの連休である。

最近、マスゴミと、それをコントロールしている邪悪なナショナリストたちによって、汚いものばかり見聞きさせられることに嫌気がさし、真に美しいものを求めて、美術館に出かけた。

先ずは、表参道にある根津美術館を訪れた。

表参道あたりは東京でも好きな地域で、以前から、たまにウロウロしていたが、なぜか根津美術館には入ったことがなかった、たぶん、興味ある展示品や企画展がなかったからだろう。

今回は、尾形光琳の、燕子花図屏風と紅白梅図屏風MOA美術館所蔵)を一緒に観賞できるということで行く気になったのだ。

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東京メトロ表参道駅で下車し、地上に出て、いわゆる表参道とは反対側(延長線か?)にしばらく進むと、根津美術館に行き当たる。

この美術館の特徴としては、外壁の一部が竹の生垣風にしつらえてあることと、付属する庭園の美しさ、だろうか(以下の写真)。

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ちょうどカキツバタが見頃で、赤紫の鮮烈な彩を、普段ならきっと落ち着いた雰囲気と思われる日本庭園に与えていた(以下の写真)。

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庭園には離れ的な建物があり、 カフェとして営業しており、訪問当日も、お昼だったためか、行列ができるほどの人気だった。

そんな行列を横目に見て、さっさとお目当ての屏風図へ。

展示室に、燕子花図屏風と紅白梅図屏風の二作品が隣り合って展示されていて、多くの人が群れるように、このあまりに有名な国宝を見つめていた。

一度、その群れの中に入り、流れに乗って展示室にあった作品すべてを鑑賞したが、もう一度この二作品の前に戻り、設置されていたソファに腰かけ、一時間ほど眺めて過ごした。

燕子花図屏風の方に、魅かれるものを感じ、右側の屏風絵が重で、左が軽だ、などと気ままな解釈を楽しんでいた。

で、小一時間ほどして、腰を上げ、再度、この二作品を近くで鑑賞しようと近づいたところ、なぜだか、強烈な息吹きを紅白梅図屏風に感じ、びっくりした。

急に、隣にある燕子花図屏風が枯れた、生命を感じることのできないものに見えてしまった。

なぜか、なぜだろう、この変化は。

紅白梅図屏風からは、とくに、古木の梅の木に咲く花から、匂い立つような息吹き、生命、を感得できた。

すっかり、この作品が気に入ってしまった。

カキツバタ咲く庭園を、作品を鑑賞する前に見てしまったことが、何か影響しているのだろうか、この心境の変化は。

素人にはこれ以上の陳腐な分析は不要だろう。

思い切って見に来てよかった、という思いとともに、根津美術館を後にした。

そして、次なる目的地、ブリヂストン美術館、へ移動。

銀座線の日本橋駅で下車し、地上へ。

反対側に日本橋を望み、銀座方面に向けて高島屋丸善、の前を通り、美術館へ。

この美術館は建物の立て直しのために数年閉館するらしく、自慢の収蔵品を、ベスト・オブ・ザ・ベスト、と銘打って、展示している。

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この美術館には、これまた、一度も訪れたことがなかったので、ちょうど良い機会だと思い、出かけることにした。

展覧会のタイトル通りに、西洋美術のビックネームの作品が目白押しで、美術館所蔵の名作を一堂に展示した、という内容だった。

私の好きな佐伯祐三の作品も展示してあって、とても嬉しかった。

印象派の作品を中心に、ピカソを経て、現代アートまで網羅するという手厚い内容で、来てよかったと素直に感動した。

西洋絵画の名作からは、何度もこの記事で使っている、生命の息吹き、があふれているように感じた、それも、何の躊躇もなく素直に表現しているように思えた。

その、あまりの素直さが日本画とは違うところかもしれないと、閉館間際まで展示室に置かれた革製の椅子に腰かけ、印象派の名作(モネなど)を前にして、そんな思いにとらわれた。

さすがに閉館時間(午後六時)間際の展示室に人影はほとんどなく、リラックスして作品に向かうことができた。

いい時間を過ごすことができた、という満足感で、ブリヂストン美術館を後にして、現実の世界へと戻った、とても嫌だったが。



桜見物とマンホールネコ(箱根大平台)

桜見物に、箱根大平台に行ってきました。

あいにくの天気で、いい写真は撮れなかったのですが、きれいに咲いた枝垂桜や山桜を堪能しました。

地名のごとく、大平台は山中にありながら、開けた、平らな台地がある地域で、箱根登山鉄道大平台駅はその開けた台地の端っこにあります。

駅から傾斜のある、細い道を歩き、高いところに移動すると、そこからは所々に植えられた色々な種類の桜が、今を盛りにと咲き誇っているのが一望できます。

山の斜面に目を向けると、山桜でしょうか、たくさんではないのですが、ポツンと、まだ冬の装いが残る山肌に淡い桜色のアクセントを与えています。

以下の写真は、お決まりの、とでも言うべき、大平台踏切で撮った、桜をバックにした箱根登山鉄道の新車3000形です、天気が悪いのでイマイチですが、雰囲気は感じられと思います。

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大平台の急な、細い坂道、路地を歩くと、必ずネコに出会います。

きれいなネコもいますが、中には薄汚れて、明らかに野良というやつもいます。

餌をやらないでください、という立札も目にしますから、きっと地域では問題になっているのでしょうね。

大平台駅構内にもネコが居ついていて、駅のベンチの下や物陰に隠れています。

どなたかが餌をやっているようですね、ネコには何の責任もないのですが、無責任にもネコを捨てる人がいるのでしょう、困ったものです。

ネコたちは、ちょっとした空き地にたむろしています、地面に直に座るよりは温排水の流れる下水のマンホールのふたの方が心地よいらしくて、以下の写真のようにしています、寒いときには。

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姫の水という名水が湧き出しているところの枝垂桜も、ダメージを受けた去年とそう変わらず、枝振りが寂しいです(以下の写真)。

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やっぱり、桜には青い空が似合いますね、残念な花見となりましたが、桜自体の美しさにはとても感動しました。

花見の後は、お気に入りの立ち寄り湯でひと汗流しました、いつもより利用客が多かったですね、桜効果でしょうか。

入湯後、湯元まで出て、某ホテルのロビーで小一時間ほど本を読んでからお土産のアップルパイを抱えて帰宅となりました。

でも、なんだかスッキリしない花見でしたね、いろいろと問題を抱えていると、心から楽しめないのが残念です、一瞬は忘れていますが。