結愛ちゃんの遺書を読むにつけ、胸が締め付けられ、自分の無力さに、脱力し、心が崩壊する感覚を覚えてしまう。
多くの心ある人は、5歳の少女が書き残した、叫び、にその魂が激しく揺さぶられ、やり場のない怒りと、何もできない自分の無力さを痛感することだろう。
支配階層が自分たちに都合のいいように作り上げた日本社会の犠牲となった5歳の女の子への同情と、幼児一人を助けることもできない日本社会への怒りが、今は巷に沸き起こっているが、我々日本人は、極めて忘れっぽい民族であり、この悲惨な殺人事件についても、すぐに忘却することだろう。
そして、社会のゆがみを受け入れ、毎日の生活に追われることとなる。
そんな民族だから、同じ悲劇が繰り返され、そして、忘却する。
支配階層にとっては、統治するに都合のいい民族性なのである。
それを最大限に悪用して、私しているのが安部とその一味である。
支配階層には、それが一番都合がいいからで、現在の日本社会を牛耳る者たちが、児童虐待、に本気で取り組むことは絶対にないと断言する。
以下に、この悲惨な事件を忘れないために、結愛ちゃんの、最後の言葉、を書き記し、忘れっぽい自分への戒めとする。
正直なところ、私は結愛ちゃんの最後の言葉を目にすることから逃げていた、あまりに悲惨で、自分の感情がコントロールできなくなるからだ。
私は、卑怯者、だ。
毎日新聞より、結愛ちゃんが書き取りノートに書いた文章の一部を引用する。
引用、ここから。
<日付不明>
ママ、もうパパとママにいわれなくてもしっかりと じぶんからきょうよりか もっともっとあしたはできるようにするから もうおねがいゆるしてゆるしてください おねがいします ほんとうにもうおなじことしません ゆるして
<日付不明>
きのう ぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちやってきたことをなおす
これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだからやめるので もうぜったい ぜったいやらないからね わかったね ぜったいのぜったいおやくそく あしたのあさは きょうみたいにやるんじゃなくて もうあしたは ぜったいやるんだぞとおもっていっしょうけんめいやって パパとママにみせるぞというきもちで やるぞ
引用、ここまで。