どうしても書きたかった

またも幼い命が冷酷かつ残忍な悪魔の所業によって失われた。

東京目黒区で、結愛ちゃん5歳が、実母の再婚相手である義父の船戸雄大という異常者に壮絶な虐待の上、殺された。

子供よりこの異常者を選び、その虐待行為から結愛ちゃんを少しも守ろうとしなかった母親も同罪である。


特に問題なのは、結愛ちゃんの家庭環境で、これまでの多くの虐待死と同じく、血のつながりのない、母の再婚相手の義父がおり、しかも、定職を持たず、母親は再婚相手と子供をもうけているという、結愛ちゃんを排除しようとする環境がそろっているという点である。

さらに、この異常な夫婦は自分たちのやっていることが計画的な殺人であることを少しも意識していないという点に、驚愕する。

閉鎖環境を作り出し、その中で、身勝手な理屈を振り回し、殺人を少しも意識していない異常者夫婦を見るにつけ、私は多くのユダヤ人を計画的に殺害したナチの強制収容所を想起してしまう。

これほどまでの悪行を重ね、バレないと思ったのだろうか。もしそうなら、その思考の幼稚さと異常性に恐怖する。

この殺人案件(虐待などという生易しいものではない)は、結果として結愛ちゃんの遺書となってしまった、ひらがな練習用ノートに、きれいな文字で記載された、親への反省文の内容が、あまりに切なく、必死の訴えであることから、多くの人の感情を揺さぶり、そして、この鬼畜の両親への強烈な怒りを起こさせることとなった。

私も、結愛ちゃんの遺書を読むにつけ、悲しみのあまり、そして、どうすることもできない自分の無力さを思い知り、どうにもやりきれない、絶望的な気持ちに囚われ続けている。

ただ、この殺人案件に対する世の中の反応を見るにつけ、世の中には、まともな感覚、命を大切に思う心を持った多くの人がいることを再認識させられた。

何より、子供を何としてでも、船戸某のような異常者から守るべきという、当たり前の感覚を共有する人が多数いるということが、あまりの悲惨な事件に、やりきれない気持ちに沈んでいた私をして、久しぶりの投稿に向かわせるきっかけとなった。

以前も、子供の虐待死に関する記事は何度か書いたが、その思いは少しも変わっていない。

多くの人が繰り返し疑問を呈しているが、子供の虐待とそれによる殺人に関して、日本の社会保障、司法制度、そして、警察機構は、恐ろしく甘く、あたかも子供を親の所有物であり、親が、しつけ、と称して暴力をふるうことを容認とはいえないまでも、深刻に考えない、必要悪、と考える傾向があると、私は考えてきた。

子供を異常者から保護する制度の整備と充実が必要なことは当然なことであるが、私は以前も書いたが、国家が、改心の可能性などまったくない、親の資格などない異常者から子供を取り上げ、責任をもって養育することを制度として現行より強化すべきと考える。


現実的には、保護施設の充実とその活動を円滑にする法整備と、虐待という名の、子供を不満のはけ口とした暴力犯罪の厳罰化しか、私には思いつかないし、ぜひ、実現してほしい。

高価な戦闘機やレーダーシステム、航空母艦を買うお金があるなら、国家の未来を支える子供への投資を優先させるべきだ。


確かに、虐待されても、子供は親を意識し、心のどこかで、親を求めている。だからこそ、現実問題として、保護する側の理性的な判断を鈍らせ、保護のタイミングを誤らせ、最悪の状況(子供の死)が生まれることとなる。

今回の結愛ちゃんの遺書となった文章を読んでみても、どこかで、親を信じ、親の愛を求めていると感じさせるが、絶望的なことであるが、当の親は、虐待している子供への思いなど微塵もなく、自分の欲望の方を優先し、子供を犠牲にすることを何とも思わないという、悪魔、に成り下がっているのである。

だからこそ、子供にとっては、救いようのない悲劇的な結末を迎えることとなる。

子供の命を大切にしない国で、子供を産んで育てようとする国民が増えるとは考えられないし、この国の現状では、安倍という問題だらけの最高権力者が、お友達政治を続ける限り、子供を取り巻く環境など良くなるはずがない。

ただし、安倍の自民党公明党、そして、その支援組織である正体不明の政治団体を支持する人にとっては、特権を得て、自分たちを脅かす者たちを封じ込め、社会の片隅に追いやり、隷属させることができるので、益々権益を得て、格差を広げることができことから、その者たちにとっては、都合のいい社会、なのである。

東京都が公教育の使命を捨てて、一部の社会階層に属する人たちに都合のいい教育サービスを提供するという方向にかじを切ったが(都立高改革という名の公立学校の私学化)、これなども、教育格差を広げるだけで、こぼれ落ちた者は切り捨てる、という非情な制度改悪である。

話がそれたが、特定の社会階層の教育に使う予算があるのなら、児童相談所や保護施設の充実に使うべきと私は考える。

子供の命が失われることでごく一部の虐待という名の傷害や殺人案件が表面化するが、その背後には多くの虐待案件が隠されている。

安倍が政権をとってから、虐待が急増している点も、日本社会が悪い方向へと向かっていることを証明してるのではなかろうか。

とりとめのない投稿となってしまったが、5歳の聡明な、何の罪のない子供の遺書が、長らく遠ざかっていたブログに私を向かわせることとなった。

心から、結愛ちゃんの冥福を祈ります。