日本の政治ジャーナリズムと教育の関係

タイトルの続きであるが、クライアントの意を受けて、適当に創作記事をでっち上げる大バカ者で構成されるのが、日本の政治ジャーナリズムである。
 
どういう経緯で政治ジャーナリストになるのか、ひとそれぞれだろうが、大新聞など、相当な難関であるのに、一体、大学やその後の社会人として、何を学んだのだろうか、この連中は。
 
その幼稚さを見ていると、日本の教育システムが、完全に崩壊していることがよくわかる。
 
百歩譲って、商業マスコミだから、としても、余りに見え透いた創作と世論形成を画策するその態度には、ジャーナリズム、のかけらも認められない。
 
ジャーナリストの看板をはずして、政治ショー屋、ならさもありなん、と思えるが。
 
 
ブランドだけありがたがって採用し、小利口に振る舞える要領のいいバカ者を重用する結果が、無批判で、闇の権力者へすり寄る記事を書いても、何の疑問を呈さないインチキ政治記者ばかりという、まことにお粗末な状況を生んでいる。
 
日本の政治ジャーナリズムは、諸外国からは、幼稚そのもの、論理性の欠如、さらには、ある者の意を受けて、きわめて偏向的な記事を書いていると見なされている。
 
憶測記事や、検察による、明らかに権力乱用、職権乱用な案件に関しても、何ら批判することなく、ねつ造記事を垂れ流しているからだ。
 
今回の反小沢キャンペーンなど、その偏向報道を見ていると、程度の低さを、自分で宣伝しているようなものである。
 
教育オタクの親たちよ、これが日本のインテリジェンスを代表する者たちなのだぞ。
 
あなた達が、自分の子供に望んでいる大学を出て、天文学的な競争を勝ち抜いた者たちのなれの果てが、この程度の幼稚な記事しか書けないインチキジャーナリストなのだ。
 
戦後50年の教育システムは、明らかに失敗だったと思わざるを得ない。
 
テレビで、ニュースキャスター、などという肩書きで登場する人間を見れば、その知力の低さがハッキリわかるだろう。
 
フジのバカキャスターなど、口を開ければ、説明責任、しか言わない。
 
一体、普段、何をして生活しているのだろうか、この連中は。
 
先進民主主義国家からは、いまだ民主主義国家とは認知されていない日本ではあるが、ジャーナリズムも、どうでもいいようなことは規制が緩く、妙に自由であるのに、国民の生命、財産など、生活に関わることに関しては、明らかに支配階層よりに偏向していて、まるで、北朝鮮のようである。
 
普段、たぶん、おもしろおかしく暮らしている、卵焼き屋のせがれ、などをコメンテーターにして、あたかも庶民感情を代表するかのような錯覚を視聴者に与えようとするテレビ番組があるが、あの者など、自分がいいように使われていることがわからないのだろうか、いや、それに乗っかっているのだろう、調子のよさそうな人間のようだから。
 
いま公教育を中心に進行中の学力向上運動の背後にあるものは、無批判で、与えられたものを要領よく吸収し、運用する人間を増殖させようとする意図があるのだろう。
 
この学力向上競争の急先鋒である、大阪の橋下などは、その実態は、てっぺん野郎であって、黙って隷属する人間が、大好きなはずだ。
 
そんな意図で選別教育された’優秀’な人間が、ブランド学校を占めて、さらに、ブランド会社、官僚などを席巻すれば、闇の支配層に好都合な社会となり、ほんの少しの支配者と大多数の奴隷によって構成される、北朝鮮のような、超格差社会が誕生することとなる。
 
そして、無批判な、’人物学業優秀’な奴隷は、てっぺん野郎が都立高校生に要求するように、天皇陛下万歳と叫び、日の丸を握りしめて、喜んでその命を国家に捧げるように教育されるのだろう。
 
日本の、政治ジャーナリズムの酷さは、ひとえに、日本の教育システムが、ものの本質に迫れる人間を養成するには、全く機能しない、ということの、1つの証明と、私は考えるのだ。