山本太郎に嫌悪感を抱く人たち

秋の園遊会で、政治力などまったくない象徴天皇に福島の現状をしたためた手紙を渡した、参議院議員山本太郎、に対する批判がすさまじい。
 
残念なのは、比較的反権力的な、客観的な社会観を持った人たちが、この血気盛んな若者を支持するどころか、厳しい批判を加えていることだ。
 
テレビ朝日ニュースステーションのコメンテーターを勤めている人物も、普段は比較的主権者国民を意識した、反強欲利権、な民主的なコメントを述べているにもかかわらず、山本太郎の直訴?には手厳しい批判をしていた。
 
その他の、産経を筆頭とする御用マスゴミの反応は、山本即時辞職せよ、一色である。
 
残念な限りである、ニッポン社会という幼稚な米国植民地においては、相も変わらず、天皇は神聖かつ犯すことのできない神であり、庶民が直接真実の手紙を渡すことさえも、不敬、と考えられるらしい。
 
残念な限りである、ニッポンという極度に封建的かつ監視機構が確立した社会においては、真実や正義を行う人を、異端者や分をわきまえない、軽薄な人間、と考えるようだ。
 
私も、今回の山本太郎の行動に関しては、一瞬、同じような感想を持ったが、その後、再検証することにより、彼の行動は批判されるべきものでなく、主権者国民として、そして、その象徴である天皇陛下に対して、真実を伝えることに何の不都合があるのか、という考えに至った。
 
波風を立てず、品行方正、を装っていれば、山本太郎の反原発活動が拡大し、社会問題をまったく考えることのない、多くのアホ国民が彼をさらに支持するとでも考えているのだろうか、私は、おとなしくしていても、熱血行動に出ても、あらゆる非道な手段を使って、このドンキホーテ化されつつ若者を潰すだろう、いや、この偏向的な報道自体、そして、守旧的な国民の反応自体、山本太郎の抹殺に加担してしまうと、私は考える。
 
思想に共感し、その実現のために期待するなら、徹底的に支持することなしに、巨悪に対峙することは不可能と考える。
 
私は、京大の小出さんも、この山本という若者も、等しく支持する。