ロミオとジュリエット

引き続き、世界の中心で、愛をさけぶセカチュウ)関連の話です。

セカチュウにケチを付けていたら、高校時代のことが思い出されました。確か、高校二年の時、クラスで(というか有志で)、8ミリ映画を制作することになりました。タイトルはロミオとジュリエットです。そう、セカチュウでもクラスでロミオとジュリエット(劇)を上演するという設定でしたよね。

僕らの場合は、文才のある女の子が原作をアレンジし、8ミリに撮って上映しようという企画だったと思います。今でもホームルームでこの企画について話し合ったときのことをハッキリと覚えています。なぜハッキリ覚えているかって?危うくロミオをやらされそうになったからですよ(冷汗)。

はじめは渋々引き受けましたが、よーく考えて、自分にはとても出来そうにないので、断りました。いやー、断るのが大変だったんですよ。僕をイメージして脚本を書いた何て言われちゃって、とんでもなく断りにくい状況でした。

男気のある、心の広い高校生なら、ならばと引き受けたでしょうけど、生憎、心の狭い、自己中の高校生は冷淡にも(笑)断ったのでした。あんまり気持ちの良い思い出じゃないので、映画の詳細や、誰がジュリエットだったかはすっかり忘れてしまいました。

でも確かなことは、ジュリエット役は僕の好きな女の子じゃなかったということです。ここが、セカチュウと大きく違う点です。もし、大好きな子だったら、どうだっただろう。やったかも。いや、それはない、なんて考えてしまいました。なんか、あの当時のことを思うと、懐かしさと共に、切ない気持ちが心に溢れてきます。

クラス全員の参加でやった企画じゃなかったけど、制作メンバーには申し訳ないことをしました。始めから、きっぱり断ればよかったのに…。みんなごめんよ。でも、代役として、クラス一番の美男子、O君がロミオを引き受けてくれて、事なきを得ました。よかったよかった。

脚本家のイメージが一番大切にされ、配役が決まるのでしょうけどね。何でこの僕が、って今でも思います。あ、思い出しました。確かドタバタ劇風(コメディーじゃなかった)に仕上がってました。だから僕に白羽の矢が立ったのかもしれませんね。でも、そんなにお調子者やってなかったけどなあ…。

ロミオとジュリエット、純愛の象徴のような作品ですよね。だからこそ、恋愛に目覚めた高校生には特別な意味があるのかもしれませんね。当時(70年代)は確かにそんな純な高校生が多かったと思いますが、現在はどうしょうか。ロミオとジュリエットは取り上げられなくなったかもしれませんが、純粋な愛に憧れる気持ちは普遍かもしれませんね、セカチュウがブームになる時代ですから。

面が割れそうな思い出でを書いてしまいました。これも純愛の力ですかね(笑)。