科学者の良心

韓国、ソウル大の教授によるES細胞研究データのねつ造が世界的な話題になっている。

詳細は省略するが、ES細胞がなぜに注目されるかというと、簡単に言うと、ES細胞が魔法の細胞だからなのだ。ES細胞は、身体を構成するあらゆる種類の細胞に分化できる。心臓、肝臓など、臓器移植でその絶対数の少なさが問題になっている臓器を、ES細胞からつくりだせるかもしれない。でも、これは、現状ではかなり大げさな言い方だと理解して欲しい。過度の期待は失望を生むから。

人類は、まだまだ生命に関して無知だ。ES細胞などの技術は、発生学という学問領域の、長年の研究成果の積み重ねによってもたらされたものであるが、その研究に用いられた動物はカエルやマウスだったりで、本当の意味での研究成果の検証が出来ない動物ばかりなのだ。カエルやマウスはしゃべらない。よって、真に正常な個体になっているかはわからないのだ。この点が大きな落とし穴だ。医学領域でも、マウスではうまくいったが、ヒトではその効果が明確ではないとか、ひどい副作用が出た、という治療技術が多いのだ。それもこれも、研究段階で用いられた実験動物での検証が不十分あるいは不可能だからだと僕は思う。

研究者は、自分の研究に誇りを持っている。そして、みんなにそれを知って欲しいと思っている。医学領域では、マウスでの知見を、ヒトにも応用可能だと話すことが多い。確かにそうかもしれないが、時として、研究費獲得のために大げさな宣伝をブチあげている研究者もいる。注目度が高い先端領域の研究には大金が必要だが、それを獲得するためには、誠実さや良心だけでは対応できない場合もある。いやな話だが、実験もしないで論文を書くという研究者も実在する。いわゆる、データのねつ造だ。注目の領域では誰かが必ず追試や詳しい検証をするので、今回のソウル大の教授のようにウソならすぐばれるが、マイナーな領域では、誰も追試なぞしないから、そのまま見過ごされることになる。

生命現象は多種多様だ。だからといって、勝手な解釈や、自分の都合で、真理をねじ曲げてはいけない。この当たり前のことが、当たり前に行われるには、ゆとりが必要だと思う。科学には利益を目的としない側面があり、達成目標を掲げられて、それに都合のいいようなデータだけを拾うことが横行するようになれば、もはやそれは科学ではない。

科学者の良心とは何か、研究成果主義が叫ばれるようになった現在、誘惑に負けず、これをしっかり自問自答する必要があると思う。