ドラゴン桜と和田式勉強法

灘高を経て東大医学部出身の和田氏の著書を読んだことがある。学歴だけでも、世間受けしやすい人だ。

受験勉強嫌いだった私には、なるほどな、という意見もあったが、心のどこかで、受験を乗り切るための方法論に過ぎない、との批判的な考えも持った。

こんな考えを持つ私のような人は、多分、無駄な時間ばかり使って、受験に成功しないタイプなのかもしれない。実際、そうだったから(江戸高日記参照のこと)。

大学に進学したとき、受験用の勉強を経験しなくても、大学の専門教育を受けることに何の問題もない、と感じたが、今もその気持ちには変わりがない。浪人し、1年無駄にさせられたという思いが強かった。私にとって、受験勉強はどちらかというと不要なものだった。いっそのこと、入学は易しく、入学後の成績で容赦なく落第させる方が、私には向いていると感じていた。

最近、東大受験を題材にしたドラゴン桜というマンガが、テレビドラマ化され、いろいろと話題になっている。底辺校の高校生に東大受験させるという奇想天外な話だが、結構面白く感じるのはなぜか?主人公の弁護士の言うことが、妙に説得力があるからかもしれない。

受験を、精神論や、学問とは何か、と言う高邁な哲学的思想から分離し、単なる技術論にしてしまえば、対策も立てやすくなるし、目標もかえって明確になり、効率がよくなるのかもしれない。受験勉強が大嫌いだった私としては、かもしれない、としか言えないのだが。

このマンガ、一見受験テクニック論に終始すると見せておいて、心も大切だ、という説教臭いメッセージもちゃんと入れてあり、心憎い構成になっている。人間には、心が一番大切なんだ、という思いが、意識の奥底にあり、それを素直に表現してくれると、安心し、満足してしまうのかもしれない。

和田氏の著書には技術論的な印象しか持たなかったが、マンガとはいえ、ドラゴン桜には、技術論を越えた何かを感じる。それは、作者の心かもしれない。