学校群制度批判と自慢話

以前の記事を再投稿する。
 
再投稿の動機は、ニッポン人の多くが、教育によってもたらされた社会悪の原因が明らかであるにもかかわらず、それを改めることもなく、いまだに崇めたてまつる、という無痛、無感覚、無責任、の状況が続いているからである。
 
相も変わらず、東大合格者数を弄くりまわし、競馬の予想屋よろしく、来春の日比谷高校の銘柄大学合格者数をあげつらい、かつ、いかにすればその数を増やせるかを自慢げに語るという(といってもよそからかっぱらってくることしか頭にないようであるが)、程度の悪い教育産業関係者とおぼしき人間が跳梁する学歴自慢関連の掲示板のむごたらしさを目にするにつけ、この国の教育がすっかり崩壊してしまったことを痛感する。
 
そして、3.11の大震災対応の過程で続々と公になった、東大を中心とする銘柄大学出身者による、殺人を含む数々の国家的犯罪、憲法無視、法律の自己都合による改変などにもかかわらず、教育の現場では、これら犯罪者を輩出する学校とその予備門である有名進学校への合格だけを教育の目的とする絶望的な風潮が一向に改まることがない。
 
記事の再投稿、ここから。
 


 
奥という法政大学の社会学部の教授が、自身の新宿高校での高校生活を下敷きにして、優等生を集めた都立上位進学校の自慢話を、むかし都立高校があった、という本に書いている。
 
ついでに、上位進学校の、東大合格者が減ったことを、当時の小尾教育長による学校群制度に、その原因を求めるという内容も含まれている。
 
この自慢話と学校群制度批判を絡めた背景には、露骨な自慢話では、余りに臭くて、読者がそっぽを向くと考えたからかもしれない。
 
奥という人物が何を言いたいのか考えてみたが、要するに、上位進学校の東大合格者数が減少したのは、入学する生徒がバカになったから、ということだと私には読めた。
 
自分のような、真に優秀な生徒が集まっていてこその名門都立高校である、という自負と自慢がこの本を書く動機だったように思える。
 
なるべく、その鼻持ちならないプライドが前面に出ないように配慮しているが、至る所で吹き出ていることに、本人は気づいていないようだ。
 
自慢話と懐古が目的の著作であるため、後段で述べられている、現在進行中の都立高校改悪批判が、感情的で、学校群制度批判に比べて、余りに手ぬるい、という印象を持った。
 
今を生きる子供たちのために、もう少し、きちんと批判を展開すべきであったと思う。
 
奥氏に言いたい、日比谷や、著者の通っていた新宿高校だけが、学校文化、を持っていた訳じゃないということを。
 
著者が言うところの、二流、三流の都立高校でも、一流校と同じ特色ある学校文化があったのだ。
 
著者の示すとおり、銘柄大学進学者の数が、学校群制度導入により減少したように見えるが、私は、以前記事にしたように、都立から私立への銘柄大学合格者の移動は、必然的なもので、制度の導入は、決定的な要因ではなかったと考える。
 
私が都立高校へ入学したのは70年代だったが、そのころの第6学区の銘柄大学合格者は、東大を例に挙げれば、かつて両国高校が独占していた40名ほどを(あとは江戸川と墨田川で数人だけ)、61群を構成する3校に(両国、墨田川、小松川)、分配されたかたちだった。
 
小松川高校は、女子にとっては、トップ校、だったが、学校群制度導入で確立した、進学校、という位置を、現在もギリギリ維持しているように見える。対照的なのは、墨田川である。
  
つまり、地域によって、銘柄大学の合格者数の変化がまちまちで、全国からあの手この手を使い越境入学してくる学校や、富裕層が多く、親が教育熱心な、墨田川より西の特定な地域と、下町地域とでは、学校群制度導入の影響は、大きく異なっていたと考えられる。
 
奥氏が、もうすこし、資料を集め、検討すれば、この地域性を発見できたかもしれないが、いかんせん、氏は、自分の住んでいた地域のことしか頭になかったようで、残念である。
 
加えて、氏の言説には、公教育、の使命が明示されておらず、上位進学校でも、色々な社会階層の子供がいたという貧富の差を、多様性、と定義づけて、それを以て都立高校の意義としている点が、私には、不満である
 
奥氏の、むかし都立高校があった、は現在進行中の、極端に受験指導に偏向した教育を支持する者たちに、都立高校の復権、の大儀として使われており、氏の自慢話が、かえって、悪用されてしまったことも、この本の中途半端な立場を示している。
 
奥氏の都立高校に関する著作はこれでおしまいなのであろうか。
 
現状に踏み込んだ、自慢話ではない、次回作に期待したい。