三丁目の夕日’64を見た

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他の方のブログでもコメントしたのですが、先日仕事帰りに、近くのシネコンで最終回を観ました。
 
まだまだ続くのでしょうかね、この映画。
 
あまりやらない方がいいなあ、この辺でやめて置いた方が記憶に残るのに、と思いました。
 
ストーリーは、もう皆さんご存じとは思いますが、東京オリンピックの年、1964年が舞台です。
 
日本中がオリンピックにわき、順調な経済発展を背景に、多くの国民が未来への明るい希望を持って、日々、一生懸命生きていた、という当時の世相を、この映画はVFXを多用することで、リアルに再現しています。
 
そのような希望に満ちた時代背景の中、三丁目の夕日、に流れる、人と人とのつながりの大切さ、義理人情、といった、人間らしく生きることの大切さ、心の豊かさとは何か、を主要登場人物である、鈴木オートと茶川家、そして、三丁目の住人たちの生活、人生を通して、面白くも切なく、上手に描いています。
 
今回は、六ちゃんの結婚と茶川が淳之介を、父親として、厳しくもその将来を考えて家から追い出す、という話が中心となっています。
 
父親として、とは、茶川が自分の父親から勘当されたことが、実は、厳しく突き放すことで、小説家として背水の陣で望むようにとの親心であったことを知るというエピソードがあるからです。
 
茶川は父親と同じことを、小説家を目指す高校生の淳之介に、泣く泣く、やったのでした、淳之介を家から追い出すという、苦渋に満ちた演技をしなくてはならないのに。
 
前2作と同じく、茶川家のエピソードが、物語を最高に盛り上げてくれます、泣けます。
 
私も、映画を観ながら、亡くなってしまった親のことをずっと考えていました、親が自分にしてくれたことを思い出し、手を合わせていました。
 
涙が止まらなかったです。
 
町医者に扮した三浦友和が、つぶやくのですが、みんなが上を目指して、ほかの人のことを気にせず、なにふりかまわず進んでいく社会の有り様に疑問を呈するのですが、あれは、現代の日本社会への警鐘に聞こえました、私には。
 
 
で、細かなことですが、
 
改築なった茶川家ですが、淳之介の部屋の壁に、米国の宇宙開発の黎明期を象徴する、マーキュリー計画に使用されたカプセルのイラストがはってありました。
 
私は、全く同じイラストを母親が買ってくれた図鑑で毎日のように眺めていて、宇宙の神秘に思いを巡らしていました。
 
それが元で、天文への興味が膨らみ、何年かかかってお金を貯めて、6センチの屈折式天体望遠鏡を買いました。
 
その望遠鏡で、初めて観た月面、土星の輪、太陽の黒点に、感動しました。
 
科学への興味が育ち始めたのは、ちょうど、あの時期だったように思います。
 
近くの上級生から天文の本を借りて勉強したりしました、もう、子供向けの図鑑じゃ物足りなくなっていましたから。
 
オリンピックの年に開通した新幹線が映画に登場するのですが、まさに、その同じ新幹線電車に乗ったことがあります。
 
なんのこと、と思われるかもしれませんが、情報では、映画に登場した動く新幹線電車(0系というやつです)は、青梅鉄道公園にある静態保存してある車両をスキャンして、加工し、映画上で動かしてるようです。
 
以前、まだ子供たちが小さいとき、青梅鉄道公園に遊びに行ったのですが、そのとき、映画に登場する新幹線電車に乗ったのでした、残念ながら、大阪の鉄道博物館と違って、運転台には入れませんでしたけど。
 
ずっと昔、飛行機関連の記事で、パイロット、を目指していたことがあった、と書きましたが、当時、よく読んでいた航空関係の本で、ジェットパイロット 国際線機長物語、という本があり、その中に、オリンピック当時、航空自衛隊ブルーインパルスの編隊長だった松下さんの話がありました。
 
そうです、あの五輪を秋晴れの競技場の空に描いたパイロットの話です。
 
松下さんは、後に、日航へ転職しましたが、戦闘機パイロットと乗客の命を預かる旅客機のパイロットとの違いを知りました、その本を読んで。
 
虫の知らせか、何年か前に、ふとこの飛行機の本のことを思い出して、とても欲しくなり、通販で古書を入手しました。
 
当時、なにが何でも、自衛隊でもいいから、パイロットになろう、と固く心に決めていました、少年の夢、です。
 
結局、視力の著しい低下で、諦めましたけどね、挑戦する資格も得ることができずに。
 
これは余計な、無粋な話ですが、あの空に描かれた五輪が頭上に見えたということは、三丁目の街は、山手線の内側、それも、かなり国立競技場に近い所ということになります、どこでしょう、新宿区か渋谷区あたりでしょうか。
 
高校生になった淳之介は、小説家を目指し、セミプロ、のような文筆活動を開始していたのです、茶川に内緒で。
 
これは私の妄想だと思いますが、淳之介の詰め襟制服の襟章を見ると、なぜだか、都立S高校とそっくりなのです。
 
このところの都立高校改悪に協力して、日比谷高校、の校章でも使うのか、と勘ぐったりしましたが、あの坂本龍一が在籍していた、S高校の校章にどうしても見えてしまうのです。
 
これは妄想にすぎないかもしれませんけどね、私の大学の先輩は坂本龍一と同級生で、S高校は、当時、多彩な人間が集まっていたようです、別に、S高校だけがそうだった訳じゃないです、誤解なきように。
 
ダラダラと映画を観て考えたことを書いてきました、私にとっても、映画の時代背景は、とっても懐かしく、自分に大きな影響を与えてくれた時代だったと、いまでこそ思えるのです。
 
2D版を観ましたが、もう一度、3D版を観てみたいです、機会があったら。