都立高校改悪こそ、我欲ではないか

東京の、てっぺん野郎が、今回の大震災をさして、我欲に走った人間への天罰だ、と宣った。
 
東京都が、いま、強引に推し進めている都立高校改悪こそ、我欲の塊であり、我欲の亡者を集め、競わせ、我欲の実現のために、すべてを破壊するおぞましい企てである。
 
てっぺん野郎の術中にまんまとはまった田舎者が、その我欲をむき出しにして、銘柄大学名を連呼する教場は、健全な精神を育む場でありえるのか?
 
勝てば官軍(ようするに、特定高校の銘柄大学合格者が増えればいい)、というのが東京都の公教育の現状である。
 
てっぺん野郎の今回の発言を借りれば、都立高校改悪という我欲には、天罰が下る、ということだ。
 
いや、あの御仁の我欲とは、自分の都合により、いかようにも定義が変わるのかもしれない。
 
自身の我欲を、全く顧みることのない首長に破壊尽くされた公教育には、この先、どんな結末が待っているのだろうか。
 
無責任で無邪気な教育マニアに翻弄される都立高校、まるで、一時期の進学校への転換に向けて必死になっていた私学の姿が重なる。
 
ほとんどの教育マニアは、経済を考える必要がないので、公立だろうが私立だろうが、我欲の赴くまま、ブランド獲得のために、蝶が蜜を求めて、花から花へ飛び回るごとく、その時々の一番美味しそうな花(学校)へ集まり、吸い尽くすのだ。
 
我欲なき者は、この我欲の権化である教育マニアの身勝手な動向の悪影響を被ることとなる。
 
都立高校という、どこにでもあるが、慎ましい花が、密を吸い尽くされ、天罰を受けないことを切に願う。