こんなときに、天罰、発言とは

石原東京都知事が、レンホウ議員との会見後、マスゴミとのインタビューの際、今回の大地震を、我欲に走った人間への天罰だ、と発言した。
 
後で、あわてて、謝罪したようだが、一度口から出た言葉は、もう、もどることはないのであり、首長たる者は、その言動に相当の覚悟が必要である。
 
それが理解できない者が、この小国家と言える地域の長であることに、絶望感さえ感じる。
 
この人物の思想のねじ曲がり方には、以前から、都立高校改悪と関連づけて疑問を呈してきたが、今回の発言は、不適切この上なく、思想の偏向というより、精神の健全性を疑う必要があるのではなかろうか。
 
加えて、このてっぺん野郎は、こともあろうに、来る東京都知事選に出馬することを、いつもの後だしジャンケンで、さんざんもったつけたあげく(自分が期待されているとでも錯覚しているのだろうか)、息子の説得?に応じるかたちで、出馬を発表した。
 
小泉と並び、あの石原の一族は、親も親なら、子供も子供であり、最悪の政治屋一家と呼べる。
 
多くの無垢な命が失われたことを、天罰、と言い放つ人物を、都民、いや、日本国民は、見逃してはならない。
 
自民を中心とするてっぺん野郎の支持者は、今回の発言をどう受け取っているのだろうか。
 
これを容認するなら、その者も、同罪であり、私に言わせれば、いつか、必ず、天罰が下る、ことだろう。
 
いや、石原が、この発言をした瞬間に、この人物には、その思想性と精神性に関して、天罰が下った、と言えるかもしれれない。
 
この緊急事態に、きっとマスゴミは、この異常な発言を全く問題視することなく、うやむやにすることだろう。
 
そしててっぺん野郎は、いつものごとく、文学的表現の問題で、真意はなんだかんだ、と屁理屈を並べ立てることだろう。
 
実際は、ビクビクしているのに、この御仁、窮地に追い込まれると、余計に虚勢を張り、文学的表現の問題、に逃げ込むのが常套手段だ。
 
都民は、この人物が、この3期にわたって犯してきた数々の失政をきちんと評価し、厳しく断罪すべきである。
 
自民党支持者、金まみれの都立高校受験対策で潤う教育産業、都立高校改悪支持者とその協力者である教員などから構成される、てっぺん野郎支持者は、この驚くべき発言に、石原慎太郎、と言う人物の本性を見ることはないのだろうか。
 
まともな都民は、しらけて、投票行動をしないのではないか、とても心配である。
 
20%の自民党公明党支持者、創価学会関係者によって、投票率が低調な場合、てっぺん野郎が、あの最悪な人物が当選する可能性が高いからである。
 
原発言は、東北の、真っ黒な濁流に呑み込まれて命を失った方々への、最大級の冒涜であり、即時退陣を要求する。