大地震と原発事故

今回の大地震では、余りに多くの人命が失われたことに、衝撃を受けています。
 
改めて、日本という国が、とてつもない危険にさらされていることを、思い知らされました。
 
幸い、私は、一瞬、ヒヤッとすることはありましたが、無事でいられることに感謝しております。
 
余りに短時間で押し寄せた津波から逃れるまもなく、命を落とされた方々の無念を思うと、本当にやりきれない気持ちです。
 
問題なのは、原発です。
 
日本の原発は、ほとんどが、地形、地質的に危険な場所に設置されていることが多く、中には、活断層の上に建設されたものもあります。
 
冷却水の関係から、海岸に設置されていますが、考えてみると、今回のような大津波のことを想定しては、建設されていないように思えます。
 
事故を起こしている福島第1原発は、資料映像では、大津波、には無力のように見えます。
 
それに加えて、ほとんどの原子炉の安全装置がまともに機能しない、という極めて異常な状態です。
 
制御棒により、核分裂反応を止めても、問題は、核燃料から発せられる熱をいかに取り除くかと言うことであって、その機能が、ほとんど、まともに作動しないという事態を、国民は、衝撃をもって受け止めるべきです。
 
いくら予想を超えた地震であっても、原子炉付近では、構造物が破壊されるほどではなかったはずです。それにもかかわらず、最も肝心な安全機構が、ことごとく機能しなかったという事実を、深刻に考えなくてはなりません。
 
福島第1は、確か40年近く稼働している老朽化した原子炉で、その安全性が疑問視されてきたわけで、まさに、今回、その危惧が的中したかたちです。
 
地震の規模が、見込みを上回った、という言い訳で許される問題ではないと考えます。
 
制御できない事態があれば、即、致命的な重大事故につながる原発は、やはり、うかつに手を出すべきものではないと思います。
 
もし、このまま、原子炉の暴走、を制御できなければ、多くの人命が失われ、その影響を長期間にわたって受け続ける可能性があるのです。
 
恐怖をやたらと煽ってはいけませんが、余りに甘い見通しと、楽観主義で運用されるべきものではないのが、原発です。
 
私は、生活が不便になっても、原発は廃止すべきという考えです。
 
原発に変わる代替エネルギーの開発に、真剣に取り組んできたでしょうか、この国は。
 
太陽光発電で、他を圧倒していた時代に、なぜ、国策事業として、大々的に取り組まなかったのでしょうか。
 
四面を海という、莫大なエネルギーの宝庫に囲まれていながら、そのエネルギーの活用に、全く取り組まなかったのは、なぜでしょうか。
 
すべて、原子力の、強力な、国を挙げての推進、という国家戦略があったためだと思います。
 
危険なプルトニュームの再利用を含む、リスクを無視した原子力行政を、国民の十分なコンセンサスを得ることもなく、強引に推進してきた日本政府と原子力産業の責任は、とてつもなく大きいのです。
 
私は、人知を越えたことに、人類が安直に挑戦すべきでないことの、第1が、原発、と考えます。
 
今回の原発事故が、早急に収束することを願ってやみません。
 
日本国民は、今回の事故を、NHKがよくやるような、関係者を賞賛する、妙な感動物語に終わらせず、国民の生命を脅かした未曾有な国家的犯罪として、厳しくその責任を追及すべきです。
 
そして、日本の未来をどうするのか、このまま原子力に依存するのか、それとも、国民の生命と健康を最優先して、全く違ったエネルギー行政と社会の構築に向かうのかを、きちんとした政権のもと、国民投票を実施して決めることを提案します。
 
被災された方々の、一日も早い復興を、心から祈念すると共に、自分に出来ることをやっていきたいと思います。