国難を乗り切るために

今時の大震災と原発事故という国難について、何かしたい、どうかしたい、でも何もできない、というもどかしさがある。
 
節電や無用な外出をさけ、買いだめに走らない、という誰でもできることを、一人一人が積み重ねることで、きっと、被災した方々に、少しは役に立てるのではないかと、思いたいし、実行に移している。
 
残念なのは、相変わらず、ガソリンを求めて、ガスステーションに長蛇の列ができていることだ。
 
今日、通勤しながら(私は徒歩か自転車通勤である)、その長蛇の列を観察してみた。
 
仕事に使っている車というより、女性や、退職者であろうか、少し年配の男性が圧倒的に多かった。
 
その列に混じり、近くにある老健施設のワゴン車や、郵便局のバイクなど、社会を直接的に支えてくれている事業者の車両もあった。
 
誤解を生むかもしれないが、どうか、これまでの生活様式をそのまま継続しようとしないで、少しの不便をみんなで共有する、という考えに賛同し、協力していただきたい。
 
我が家は、車の使用は即座に禁止し、備蓄してある食糧を中心に、なんとかやり繰りしてして生活している。
 
あれほど、物品はあり、流通が確保されれば、一時的な不足はすぐに解消される、と宣伝しても、ガソリンに関しては、日増しに悪化している。
 
都市化された地域では、バスは、問題なく動いているし、自家用車である必要がない場合は、公共交通機関を利用する、ということを一人でも多くの人が実践することで、この一時的な必需品の不足は解消されるはずと信じ、そう、行動している。
 
日中、ガソリンスタンドに何時間も並ぶことができる人は、誤解を承知で言えば、暇な人、緊急を要さない人が、かなり含まれていると想像する。
 
小ぎれいにした、明らかに業務用ではない、とくに、高齢とは思えないドライバーが運転する車が多く見受けられるが、健康で、緊急性がないのなら、慣れ親しんだ日常を少し我慢して欲しい。
 
石原慎太郎の言を借りれば、我欲、を抑えていただきたい。
 
そして、この国難に際し、それこそ命がけで復旧に当たってくれている方々に、心からの感謝と、任務の安全をお祈りしたい。
 
とくに、原発事故の現場では、相当の命の危険にさらされながら、任務を遂行する関係者の方々の、想像を超えた献身を思うと、日本とは、本当は、石原慎太郎がご執心の銘柄大学出身者という既得権者ではなく、そこここにいて、懸命に、そして、正しく生きる、人間として真に優れた人々によって支えられていることを、薄っぺらい表現で申し訳ないが、ありがたく、ほんとうに、ありがたく思う。
 
人間とは、真に優れた人間とは、という命題を、銘柄大学合格ということしか頭にない、愚にもつかない学歴掲示板にたむろする輩、特定都立校の親や子供、そして「都立高校の復権(ようするに東大合格者を増やすこと)」などという本当に薄っぺらいスローガンを掲げている東京都教育委員会は、よく自問自答していただきたい。
 
国難に際して、本当に崇高な働きをする者は誰か、ということを子供達は、しっかりと記憶にとどめて欲しい。
 
どうか、関係者の皆さんが、無事、家族のもと、愛する人のもとへ、帰れますように。