中学生で、武道を必修にするらしい。
つまり、いさぎよく、国のため、いや、実際は天皇のために命を投げ出す、という精神である。
それを支えているのが、侍の独りよがりな美意識だと思う。
その思想は、禁欲的な思想傾向がある欧米の貴族には、すこぶる受けがいいが、一般民衆には、理解を超えた思想だろう。
近頃、政権とは関係なく、明らかに、右よりの社会的風潮が強まってきている。
折に触れて、日の丸を打ち振ったり、サムライなんとか、とかいって、軍国主義時代の象徴であったものを、盛んに持ち出してくる。
ご多分に漏れず、マスゴミ、がこの右翼化の後押しをしている。
日本の商業マスゴミは、特定の社会階層の意を受けて活動しているので、当然の成り行きだろう。
日本の若者が、明治維新から昭和にかけて、日本が何をしてきたかを、正しく教育されていない現状では、日本国の象徴とされた日の丸が、どういう風に利用されてきたか、ほとんど知らないだろう。
自虐的歴史観を痛烈に批判し、国家犯罪に目をつぶることを当然視する思想は、力の国際政治を志向するしかなく、軍備増強と、命を差し出す若者の育成に、国家として向かわざるを得ないと、私は考えるのだ。
日本は、過度の軍事的緊張に耐えて、国際社会で力の外交を展開しているだけの素養があるとは、私にはとても思えないのだ。
日本は、すでに実験して、大失敗したことを、多くの国民と、威勢のいい政治家は完全に失念している。
この忘却の理由は、アメリカとくっついていれば、今度はなんとかなる、と考えている人間が多いからだろう。
とりとめのない記事になってしまったが、明治期から昭和にかけて創作された帝国主義的軍事国家建設のためのインチキな日本文化はさておき、長い年月をかけてはぐくまれてきた日本の文化と伝統を、後生の日本人に受け継いでもらうことは大切なことではある。
ただし、その手段が、武闘と殺戮に関係するものである必要はないと、私は考える。
一握りの支配階級だった侍という集団に、精神、なるものがあるなら、現代の支配階層が、それを、自分たちに都合よく解釈して、子供を洗脳しようとしているのではないかと穿った見方をしたくなる。
元に戻るが、戦前の状況に戻そうとしている集団の活動があからさまになってきたように感じる。
そして、国家の中枢や様々なところに、あの国民をゴミくずのように扱った戦慄するような思想(その根幹にあるものは国体という概念)を再興しようとする者がいることだけは確かだろう。