懐かしい先生たち

母校も、旧制中学として創立され、新制高校に移行し、今年で、創立70周年を迎える。
 
受験教育に異常に熱心だった、両国高校小松川高校(旧制の高女)は、いまでも進学校という分類らしいが、江戸川はごく普通の高校の位置をキープしているところが、相変わらずであり、江戸高らしい。
 
墨田川でなく小松川が残るとは、想像していなかったが、要するに、高女としての伝統が作用したのかもしれない。
 
受験指導がすさまじかったからなあ、あの高校は。
 
もし、あの進学校のどちらかに行っていたら、私は、間違いなく潰れていただろう。
 
学校群制度批判に付きものの、受験指導の廃止など、どこ吹く風だった都立進学校も沢山あったのに、学校群制度と言うと、進学指導の不備が必ずやり玉に挙げられることが、不思議でならない。
 
いかにすごかったかは、以前記事にした。
 
要するに、日比谷とあと数校の、東大合格者数が激減したことが気に入らない人たちが、ゆとり教育批判と関連づけて、受験教育推進を声高に叫んでいるのだろうと、私は断じているし、あのまま学区合同選抜を継続していても、確実に、現在の状況になっていたと考える。
 
話が、脇にそれてしまった。
 
記念事業への支援を募る文書が、同窓会から送付されてきた。
 
その中に、同窓会開催の通知も、同封されていた。
 
何人かは、教えをうけた先生方も、参加されるようだ。
 
参加予定の先生の中には、私の卒業後、着任された方も多く、面識のない先生の名前を見ていると、年月の経過をつくづくと感じる。
 
今年は、生物のT先生が参加されるようだ。
 
私の在籍当時、生物の教員は2名いて、1人はH先生で、もう1人はT先生だった。
 
H先生から、生物Ⅰを教わり、T先生からは、生物Ⅱを習った。
 
生物の授業の印象は、以前にも書いたと思う。
 
私は、生物学を基礎とした高等教育を受けて、職を得た訳であるが、高校の生物に関しては、あまり強烈な印象はない。
 
たくさんある美味しいものを、つまみ食いするようで、散漫な印象を持っていた。
 
確かに生物学の重要命題のエッセンスを集約したような高校生物は、高等教育への橋渡しとして、意義のあるものだと、大学で教えていて感じるが、面白かった!といえる感動はなかったように思う。
 
自分で、あれこれ、本を読み、そこから自分の感じる渇きが何であるかを、もう少し考えればよかったのかもしれない。
 
生物に関しては、突っ込みが足りなかったかなあ、と思う。
 
その渇きが、生態学への強いあこがれ、だったのだろうと、今にして理解できた。
 
高校の図書館で、生命科学者の随筆を読むのが好きだったが、その中で、最も心引かれた先生の孫弟子になろうとは、当時は、思いもよらなかった。
 
私の恩師も、恩師の恩師から受けた学生の育て方、で私に接してくれたことを、心から感謝している。
 
その教育法は、何も教えないこと、である。
 
今の学生を見ていると、子供の頃から、何でもかんでも、与えられることになれていて、与えられることが当然、という態度で、教員を批判ばかりする者が少なからずいる。
 
私は、そんな学生を見ていると、子供の頃からの通塾が、クライアント感覚で、何でも要求する人間を作り上げてしまったのではないかと考えてしまう。
 
学問は、自分であくせくして、身に付けるものだと考える。
 
試行錯誤という、スマートじゃないことを嫌う傾向があるが、それは、誰かが考えたコツを伝授してしまう、塾のあり方に、強い影響を受けているのではないかと思う。
 
誰かの編み出したコツを利用して、演習を繰り返すことが、思考力や創造性を養うことではない。
 
私は、ゆとりを持った教育に、大賛成である。
 
このままの学力向上レースを続けていては、創造性を育むことは不可能で、せいぜい、官僚主義を、より強固なものにするだけだと、憂慮する。
 
科学(創造性)を育てたいのか、それとも、官僚主義的手法に習熟した人間を増やしたいのか、いま、教育は、重大な選択を迫られている。
 
高校時代は、知力も、大いに発達するときで、かなり高度なことを吸収できる素地が出来つつあるときでもある。
 
そんな時代に、演習に、多大な時間を費やさなくてはならない、日本の子供たちの前途が心配である。