50年前の、東大に、現在の開成高校と同じ合格者を出していた日比谷高校は、都立高校であって、都立でなかった。
全国から、東大を目指す子供を集めていたのだ。
この実情を、日比谷高校をヨイショする人物は、決して語らない。
あたかも、日比谷高校が、都立高校であったように、今の日比谷高校と同一視しようとする。
つまり、今進行中の都立高校改悪を、正当化するための方策である。
かつての日比谷高校は、まさに、現在の、開成高校だったのだ。
私の知人に、開成高校から、東大、あるいは、慶応の医学部に進んだ者が結構いるが、面白いのは、出身は、東京都ではない。
これが実態なのだ。
都立高校改革などと、くだらない宣伝活動をくり広げ、単に、特定高校に、頭のいい子供を集めただけなのに、教員の力量が、大学合格実勢を押し上げたように錯覚させているが、噴飯ものである。
塾や予備校の講師の力量であって、都立高校の教員など、そのおこぼれをもらっているだけである。
この実態を、認めたがらない東京都の、自己評価能力のなさには、いや、卑しさには、驚かされる。
教員としてのプライドはないのか、進学指導重点校の教員には。
半世紀前の日比谷高校と、今の、私立新興進学校を完全にコピーした日比谷高校を、同じく語ることは、不見識であり、詐欺である。
このような、詐欺まがいの、パフォーマンスで、少しは進学実績をよく見せることは出来ても、そこには、何もない。
落ち着いて生徒に向き合ったり出来ないと断言できる。
あるのは模試の成績と、年がら年中、国立、東大、と連呼する、使命感に燃えたイシハラ派特命教員のかけ声だろう。
どう考えているのだろうか、これら大学受験に、極端にシフトした学校に進んだ子供たちは。
単に、プライドを満足させるだけなら、教育になっていないのではないか?