新作映画、時をかける少女、を観た(アニメ版の感想も一緒に)

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先日、メンズデーを見計らって、夜、最終回、時をかける少女を見に行きました。
 
面白いのは、微妙に、レイトショーじゃない時間帯に、上映時間が設定されているところです。
 
子供向けのためか?などと、妄想を楽しんで、おにぎりで腹ごしらえして、入場です。
 
十人くらいしかいませんでした、でも、私、人嫌いな変人なので、とっても快適です。
 
それも、前の方で観るのが好きなものですから、人もいないし、最高です。
 
30年近く前に、大林宣彦監督の手で、尾道三部作の一つとして映画化されましたが、その続編的な作品とのことでしたが、まあ、そんな感じでした。
 
そうそう、何年か前に、アニメで時をかける少女というのがありましたが、あれは、映画とは何のつながりもないような感じでしたね。
 
アニメは、時をかける少女、という看板を利用したというか、そのイメージをうまく使って、作品を宣伝した、と言う感想です。
 
でも、アニメは、昔の映画にこだわらず観れば、面白い作品ですね。
 
私の好きな高校生活が舞台ですからね、随所に、思いをいたすところがありました。
 
アニメ版では、あれ、どこかで観たような情景、と思うところがありました。
 
その一つは、野球のシーンです。
 
主人公、3人が、野球をやって、交流を深めているのですが(適当かなあ、この表現)、あれと同じことを、高校時代、やってました、私。
 
野球部のやつと、そのダチ、そして私、ときに、他の野球部のやつも加わって、高校のグランドの端っこで、やってました。
 
みんな、同じクラスメートです、3年間クラス替えしませんでしたからね、あの時は。
 
たわいもない、どうでもいいような会話を交わしながら、キャッチボールしたり、打撃練習したりしました。
 
ああいう、なんというか、怠惰な感じというか、無目的な時間のつぶし方というか、なぜそうするのか、理屈を付けるのは難しいですが、安心するからでしょうね、その中にいると。
 
ですから、アニメ版の野球のシーンは、デジャブでした、私には。
 
あ、でも、女の子は、いませんでしたよ、あの時代、女子とそんなにイチャイチャしたりしませんでしたからね。
 
私、自分の出身高校が、あの時代の江戸高が、とても好きです。
 
都立の、下町にある、何でもない高校でした。
 
それと、子供の時から慣れ親しんだ、京成線が出てきて、とても懐かしくなりましたね、アニメ版は。
 
子供の頃(小学生ね)、ひとりで京成線に乗って、上野の科学博物館に行くのが大好きでした。
 
なぜか、土曜の午後によく出かけました。
 
そして、決定的なのは、荒川がそばに流れていて、首都高が、川に沿って走っている情景です。
 
あれ、まさに高校のすぐそばの景色です、今は、ホームレスの方々のテントが結構ありますけどね。
 
あれれ、アニメ版の感想になってしまいましたね(笑)。
 
映画は、原田知世さん主演で、一世を風靡した旧作品のストーリーと整合性があるように工夫された脚本のようでした。
 
ですから、旧作品が頭に入っている人には、分かりやすいものです。
 
新作は、ヒロインが、旧作品のヒロインの娘という設定なのですが、年頃が高校3年で受験終了時なので、旧作品の原田知世さんがやったような、学生らしい清々しさとは一風違ったヒロイン像でした。
 
時代背景も全然違うしね、それを、とやかく言っても仕方ないですね。
 
まあ、好き嫌いでいえば、私、嫌いです新作のヒロイン。
 
記憶を科学的な手法で消しても、その思いは、心のどこかに残り続け、その人に寄り添っていて、決して、消せるものではない、ということが主題、かな、と思いました。
 
時間跳躍によって生じる、歴史に悪影響を及ぼす記憶を消すlことが可能であり、消された本人は、経験したことが感覚として残るだけという設定のようで、ストーリーとしても、スッキリ割り切れない印象を与えます。
 
想像してよ、そこのところは、と言った観客に補完させるところが多い映画です。
 
大切な人の死という悲劇的逸話を挿入して、時間跳躍、の悲しさを表現しようとしていますが、お涙ちょうだいで、感情が揺さぶれるところですが、それがこの作品を、ややスッキリしないものにしていると思います。
 
そんな感想ですね、もし、ヒロインが私の好みだったら、もう少し感情移入が出来たのかもしれません。
 
印象深かったのは、いきものがかりの懐かしい曲、ノスタルジア、がこの映画のイメージにぴったりで、最高に効果的だったという点です。
 
いきものがかり、いいですね、ほんとよかった。