DQN高校 底辺校

いささか、頭痛がするので、書き散らかしになるが、書かずにはおれなかった。


昨日の朝日新聞を読んでいたら、高校生による殺人事件についての特集記事が出ていた。

交友関係のトラブルで、高校生が、同じ高校生を殺してしまったという事件である。

単なる殺人事件で終わらず、被害者が通っていた高校がネット上で攻撃され、DQN高校(または底辺校)は、そもそも存在価値がないのだから、死んでも当然、というような書き込みが、多数行われたらしい。

一方、加害者の高校は、偏差値65の、進学校であったとのこと。

学校の偏差値で、この事件が語られるという、歪んだ状況が、ネット上に出現したようだ。

つまり、人の命も、人の罪も、学力というか偏差値で決定される、というような、非人間的な思想を持つ者が多数いるということを、この事件に対するネット上の反応(書き込み)は、示してるということになる。

あくまでも、ネットという、限定空間でのことで、これをもって、すべてを判断できるはずもないが、少なくとも、学力で、人間の価値を決め、それに基づいて、待遇を決定すべきだという、選民思想を持つ者が、少なからず存在するということを、認識させられた事案である。

この学力偏重と学力差による待遇の違いを公然と表明し、推進しているのが東京都の都立高校改悪である。

経済格差による学力格差を容認し、お金をかけられる裕福な家庭の子供、すなわち、高学力の者を、教育環境の整った学校に取り込み、東大、東工大、一橋などへの大学合格実績の向上を目指すというものである。

現在社会は、偏差値(つまり学力)という価値基準で、人間を差別することが当たり前と考える人が多いのであろうか。

いつぞや、都立進学指導重点校を無条件でヨイショするサイトの危険性をこのブログで取り上げたところ、それに反発する都立H高校賛美者が、私の出身高校の現在の偏差値を(私の在籍時と随分違うのだが)、他の進学校と並べて、2chの掲示板にさらしたことがあったが、この卑劣、卑怯者の行為は、まさに、今回の殺人事件の被害者をさげすみ、落とし込むような極悪人と、同一の思想性を持つ者であったろう。

私は、この種の学力偏重者には、人間的な未熟さ、それも、救いがたいほどの偏屈さを感じる。

大方、中高生か、そのレベルの人間的成長度合いであり、そこから先には進めない状態なのだろう。

この種の人間が、日本社会の中枢に巣くうことは少ないとは思うが、だからといって、ネットという無責任空間を悪意をもって跳梁させてはならないと考える。

学力主義は、ようは、学校制度運営上で都合のいい人間を選択する手段であり、究極的には、組織を運営する上で有益な人間の選別につながる考え方であろう。

それは、決して、教育ではない。

組織運営、すなわち、国に役立つ人間の選別が、その本質であると考える。

このまま、この学力主義をすすめていき、何を目指すのか、日本国民は、しっかりとした展望をもっているのだろうか。

学力重視に傾けば傾くほど、経済力がモノを言うようになり、経済格差が学力格差に繋がることは、誰しもが知っている事実ではないか。

現行の学力判定制度では(大学入試まで)、お金が物言うことは、否定しがたい事実であり、貧乏人は、よほどの天才か、努力家でないかぎり、最良の教育環境を得ることは難しいだろう。

これを容認するのであろうか、日本社会は。

そして、気が付けば、太平洋戦争に突入、何百万人という犠牲者を出し、アメリカの植民地に成り下がる、という事態になっていたのが、この学力偏重主義の行き着くところであったことを、日本国民は、すっかり失念してしまったか。

高級官僚と陸海軍の将校(陸軍士官学校海軍兵学校卒業者で、その中でも成績上位者)は、全国から選りすぐりの、超高学力者であったが、それが、あんな程度のことしかできず、多くの、その他大勢の国民を無駄死にさせた事実を、しっかり思い出さなくてはならない。

さらに、これら高学力で社会の中枢に座った者の多くは、戦争責任をほとんど回避し、それどころか、戦争犯罪の隠蔽に奔走したことを、国民は、どれだけ知っているだろうか。

高学力者の極みである軍参謀として戦争の立案に携わった者の中には、ひとかけらの反省の心さえ持っていない者がいることを、無垢な国民は知っているのだろうか。

学力、学力と騒いでいるうちに、とんでもない怪物を育て上げてしまった、その結果が、先の悲惨な戦争だったとは考えられないだろうか。

未熟者の、無責任で、心ない書き込み、などと軽く考えていると、その裏で、とんでもない悪だくみが進行していて、その隠しきれない悪行の一端が、今回のような、ネット上での、DQN高校攻撃という現象として表出したと、深刻に考えるべきではないか。

太平洋戦争に突入していった時代と同じ社会情勢、とくに、教育、いや、学校制度に、またも傾き始めているのが、今の日本社会なのではないだろうか。

この新聞記事を読んで、こんなに飛躍的な感想を持ってしまったのだ。

それにしても、ネットに対して、何かの制限を設けるときが来たのではないだろうか。