公教育(都立高校)の変質

都の公教育は、経済弱者、身体的弱者など、弱者への救済を、全く切り捨ててしまった。

定時制高校の統廃合、単位制とは名ばかりの普通の高校など、昼間部に通学が難しい人間に対する配慮、救済措置を、全く考慮していない。

体の弱い者は、精神に問題のある者は、生きている価値がない、とイシハラ都知事は言ったが、こんな悪魔的な選民思想の持ち主が首長をしている限り、都の公教育は、教育産業との癒着を強化し、さらに、弱者切り捨てが進むことだろう。

東京都で、都立高校を選択する子供の多くは、健常人であろう。

ただ、少数の弱者、とくに身体的な弱者に対応できる学校は、皆無と言って良い。

そして、私学にツケを回すことになるが、そうなると、高額な学費が必要となり、経済的問題を抱えている家庭は、大いに困窮することとなる。

教育は個人の才覚で、お金がかかるのは当たり前、という姿勢が、都の教育政策である限り、教育の機会均等などという、基本的な人権に関わる重大事は、少なくとも、東京都では無視され、無関心な大勢に踏みつぶされてしまうことだろう。

公教育に、弱者を救済するという、社会主義的な役割を期待することは、不埒であるという風潮は、余りに寒々しくて、戦慄する。

東京都の親たちは、公教育に何を求めているのだろうか。

安い受験対策塾の役割なのだろうか。