都立高校は誰のためにあるのか

都立高校を選択する家庭、子供は、何時の時代でも、どんな制度下でも、ほとんど同じ社会階層に集約しているのではないかと考えています。

教育熱心な家庭や富裕層(教育熱心な家庭にスッポリ入りそうですが)は、その時々の教育を取り巻く環境の変化に敏感で、より良い環境を求めて移動するので、結果として、難関大学合格者の数が変動するのだと考えます。

都立高校の例ですと、以前は、このグループが、都立高校を選択していたので、見かけ上は、ごく少数の上位進学校で、難関大学合格者を多数出していただけで、気に入らないことが起こると、このグループは、さっと逃亡できるので、すると都立高校は難関大学合格者数においては、低落することとなったのだと思います。

この限られたグループの動向を利用して、見た目の進学実績を上げ、都立高校の復権なるまやかしを行っているのが、いまの東京都の教育行政だと考えます。

このグループの思惑に、公教育の運営方針が振り回されていると感じます。

都立高校は、それを必要とする人の学校であるべきで、人気が低落したといっても、何万人もの都立高校生が、何時の時代でもいたわけで、現状は、目を向ける対象が、かなり偏っています。

これを継続すると、特別措置された学校は栄え、その他大勢が行く学校は、低落(教育環境全般というか、総合的にですが)するでしょう。

それが現都知事と、都の教育委員会のねらいでしょう、学校統廃合の口実になりますから。

その低落する学校こそが、都立高校の主体であって、公教育の使命の多くを担っていると、私には思えるのです。