タイトルは、まず、あり得ないでしょう。
携帯が、小学校、中学校に入り込んでいる現実は、どれくらいなのでしょうか。
何処かの知事が、パフォーマンスして、騒ぎ立てていますが、基本的には、公立の学校では、禁止されていて、所持している生徒は、ほとんどいないのではないでしょうか。
少なくとも、私の地域では、そうです。
実は、携帯の話ではありません、地域の話なのです。
最近、地域の連携など無駄、という中学も出てきて、それに追従する動きもありますが、そんな身勝手なことばかりしていると、地域全体の活力が低下すると、私は考えます。
自分の住んでいる所のことを、きちんと考えることができて、初めて、社会とは何かを理解できるのだと思います。
それを、突然、社会という理論を教え込み、さらに、学外講師を呼んで、実体験させることにより、社会の仕組みを論理的かつ実践的に学習させようとする動きがありますが、そんなことを取り立ててしなくても、親が、地域社会に関心があれば、いくらでも、社会を知る機会があるのです。
ところが、最近の若い親たちは、地域社会の活動や、地域社会を知ろうとする努力をしません。
やることといったら、子供の習い事のグループ活動でしょうか。
これは、決して、地域を考える活動ではありません、ごく個人的な嗜好を満足させる活動です。
そして、そんな親が、飛びつくのが、論理的に組み上げられた学習システムです。
完成されたシステムを、マニュアルに従って、学習していけば、それは効率の良いことでしょう。
しかし、学校で教えられたことがいかに身に付かないかは、ちょっと考えれば分かることです。
日々の生活、実体験を通して、人は成長していくものです。
私は、今の若い親たちは、結局、いつも遠くを見て、何かいいものがないかと、キョロキョロしているように思えてなりません。
ですから、学校選択制になったり、学区が撤廃になったとなると、すぐに、評判のいい学校に押しかけたり、公立は程度が低くて、低所得者がいて、学力も生活習慣も最悪だなどと決めつけて、中学受験させ、子供を地域から保護(というか隔離です)しようとします。
もう少し、自分の周りを見る余裕が欲しいですね。
とくに、首都圏は、日本中から人が集まっているので、地域、という考えが薄くなりやすいのかもしれません。
持ち家を持つことも、なかなか難しいですし、すると、地域への思い入れも、自ずと薄くなると考えます。
いま、教育の現場には、会社経営のノウハウなどというきな臭い、支配者や経営者に都合のいい理論が、導入されようとしています。
私は、警戒心をもって、これらの動きを見ています。
社会が健全なら、子供は、そこから多くのことを学び取ります。
そんな当たり前なことができない社会なら、もし、今の日本が、どこかの中学や中高一貫校がやっているような、システム化されたキャリアデザインを必要としている社会なら、それはもう、紛れもないアメリカ的社会の到来を意味しています。
健全な社会、地域とは何かを、もっと学校で議論すべきです。
そして、例えば、地域の子供会活動に、子供をもっと参加させるべきです。
親が面倒くさいので、子供会に参加しない、という家庭が多く、結局、子供が地域を知る機会を失っているのです。
ここでも、地域で子供を育むという日本社会の美徳が、親の身勝手さから、失われようとしています。
私は、日本の親の多くは、理想の子供を育てようとするあまり、しかも、なるべく面倒なことは避けたい、という思いから、一見、論理的かつ効率の良さそうな、完成された学習システムに、簡単に飛びつき過ぎると見ています。
そこに、教育産業が、金儲けの余地を見出して、学校に、ズケズケと土足で、大手を振って入り込んでこようとしているように思えます。
親が、肝心なところをめんどくさがってしまい、社会を金まみれにしているのが、現代の日本社会ではないかと、私は、思うのです。