新銀行の責任を問う声は…

イシハラが、強引に推し進めた、新銀行だが、悪事がこれだけ明らかとなっているのに、最高責任者は、未だ、知事のイスにお座りだ。

これを見逃したら、東京都民は、日本中、いや、世界中の笑いものだろう。

これほど非常識、いや、犯罪性がある金融機関を、都が主導したことに、都民は、というか、イシハラに票を投じた人間は、大いに反省すべきだ。

結局、お山の大将になり、好き勝手なことをやりたいだけの人物に、好き勝手にさせただけだった。

東京都民、大らかなのか、バカなのか、訳が分からない。

イシハラへの嫌悪感を、都立高校改革への批判に転嫁しているなどという書き込みをした者がいたが、バカを言うなである。

自分に都合のいい社会を造るために、お金をかけなければ、良い教育環境を得ることができないようにしたことを、私は批判しているのだ。

すでに、その環境を得た者にとっては、イシハラの教育政策への批判は、自分への批判と言うことになるので、捨て置くことができないのだろうが、どれほどの犠牲の上に成り立っているか、冷静に考えてみるがいい。

行き過ぎた学校選択制により、地域という概念が崩壊し、さらに、アメリカに見られるような、スラム化する地域が出現するのではないか、と心配するのである。

どこぞの中学のように、自分たちだけ良ければ、それでいいという考えは、まさにイシハラ的発想の上に成り立っているとしか思えない。

社会は、特定の集団や階層を維持するためにあるのではない。

特権を受ける資格があると勝手に考えるものが、大手を振って歩く、下品な都市、それが東京だ。

この都政や、都民の感覚が、これ以上、エスカレートしないことを強く望む。

新銀行の犯罪の責任は、都知事にある。

早急に、辞任すべきだ。

都民の良識には、期待できないところが、悲しい。