教科書の内容に関して、これまで、学習指導要綱の範囲を大きく超えない程度の記述は許されていたが、これを取っ払って、自由に記述できるようにするとのこと。
何が目的かは、分かっている。
受験準備の前倒しだろう。
それしか思いつかない。
発展的学習というと聞こえがいいが、すべてが、受験対策、他の人より、少しでも先に進み、差を付けたい、という浅ましさが、感じられる。
教科書を厚くして、大学受験に備えるというのが本音だろう。
受験シフトが取られている学校の生徒は、これからもっともっと詰め込まれることだろう、受験に備えて。
年齢にあった学習内容に、じっくり取り組み、考える時間を増やすことが、全く議論に上ってこない。
もしや、知能の発達速度が早い、サピックスや日能研の最上位クラスの子どもだけを考慮しているのだろうか、と穿った見方もしたくなる。
何をやりたいのか、ちっとも先行きの方針が見えてこない。
学力が低下した、と煽り立て、それではと、授業時間を増やすことしか思いつかない教育行政、教育界、どこかおかしくないか。
教員が変わらないのに、時間数だけ増やしてどうかなるのか、全く論理的でない。
教育は、勉強テクニックの習得と、多くの知識の詰め込み、そして、演習の繰り返し、とでも言いたいのか。
日本の教育は、受験対策のためにあるのか。