ちょっと前になりますが、容疑者Xの献身、観ました。
テレビドラマの探偵ガリレオが面白かったので、観に行ってしまいました。
ドラマのスタッフが映画も手がけているので、違和感なく、楽しめました。
しかし、福山雅治は、湯川学という強烈な個性が、染みついてしまい、抜け出せなくなるのではないかと、ちょっと心配しました。
私が、気にかけることはないのでしょうけどね(笑)。
それにしても、彼の持つ落ち着いた、知性的な雰囲気と、理屈っぽい物理学者という役柄が、ピッタリはまっていて、絶妙です。
でも、テレビのイメージって、強烈ですね。
あれを全く別の配役でやるのは、かなり勇気がいるように思われます。
天才的数学者だった高校の数学教師が、それも、平凡で、人間として至極まともな人生を歩んでいた者が、何の罪もないホームレスを殺害し、その死体をアリバイ工作に使うという、あまりに残忍なストーリーに、いくら論理を優先する数学者であっても、そこまでするか、という気持ちが沸き起こりました。
小説ではどうかと思い、一気に読んでみましたが、そこの所の記述に関しては、私には説得力がなく、現在も違和感を持ったままです。
犯人の思想、真理を、もう少し丁寧に書いてもいいんじゃないかと、考えた次第です。
東野圭吾の小説には、殺人に至る動機に関して、無理があることはないのでしょうか。
私は、彼の作品を一作しか読んでいないので、これ以上のことは言えませんが、この作品に関しては、無理があるなあ、という思いを抱いたままです。
映画自体は、ドラマに見られる、過剰な演出を避けて、手堅くまとめられて、楽しめる娯楽作品でした。