ラマヌジャン

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写真は、インドの数学者、ラマヌジャン(1887年-1920年)です。

私、天才の話を聞いたり、読むのが好きです。

天才といっても、音楽や、数学の分野ですね。

とくに、数学の天才は、天才度?が計りやすいので、好きです。

数学を、単に算数の延長で考えてはいけないのですが、算数に苦労した自分としては、その天才たちが、神のように思えるのです。

ここで定義すると、神=真理を司る者、ということです、私としては。

数学者の多くが、かなり厳密な美意識を持っているように思えます。

美意識に立脚した思考の流れを大切にし、証明を考えたり、新なた問題を創出するようです。

最近、久しぶりに、数学者でエッセイストの藤原正彦さんの最新刊という文庫本を買いました。

書店で、パラパラとめくってみたのですが、何処かで読んだことのある話だなあ、と思いましたが、ちょっと急いでいたので、とりあえず、買ってしまいました。

案の定、前作を下敷きにしたものでした。

藤原さんのエッセイを初めて読んだのは、もう、20年以上前のことです。

その内容は、彼のアメリカ留学時代のエピソードでしたが、数学者でも、活動的で、面白いことをする人もいるもんだと、痛く感心しました。

その時は、新田次郎の息子だとは全く知らず、読みやすい文だなあ、程度の感想でした。

新田次郎の山岳もの?を気に入って読んだこともありますが、その息子とは知りませんでした。

でも、親の影響は、何処かにあるようには感じます、藤原さんの文章の確かさから。

ずっと気になっていた、インドの数学者、ラマルジャンに関する記述が、前作を整理して、数学的エピソードを中心に書き直されていました。

ラマヌジャンの数学者としての天才ぶりが、生き生きと描写されていて、分かりやすい内容になっていました。

前作は、インドの社会的背景、宗教的背景に関する記述が盛りだくさんで、それはそれで面白いのですが、その辺をばっさりと切り取ったようですね、今回の作品では。

私は、ラマヌジャンという数学者が、神のお告げとして、膨大な数の独創的かつ重大な定理を次から次へと、創出することに、何とも言えない、不可思議な、感動をおぼえました。

表現が上手くないですね。

数学者は、論理的思考の果てに、定理なり、新たな問題を提出するわけですが、彼は、自分では、決してそう言わないのです。

彼の信ずるヒンドゥー教の女神のお告げと表現するのです。

その言葉には、なんとも、東洋的で、曖昧模糊として、全てを包容するような懐の深さを感じるのです。

彼の論理的思考の過程を、検証する手段は、もうありませんが(論文にする課程の論理的証明は、共同研究者のハーディーらがやったため)、彼には、神の声が、本当に聞こえていたのかもしれません。

独創的な数学の定理が、彼の大脳を使った作業の結果だったとしても、彼には、神が与えてくれたものとしか、認識できない、脳の構造だった可能性もあります。

ラマヌジャンは、西洋の数学者とは、その文化的背景の違いから、際だって特異な存在に見えますが、これから先も、その業績の適応の拡大が期待されるそうです。

また、彼の業績の本当の意味、意義についても、現状では、十分に理解できないところもあるようです。

そのうち、とんでもないことに(凡人には言い表すことも出来ない)結びつくのではないかと、密かに期待しています。

そんなわけで、芋づる式に、もう一冊、天才数学者エルディシュに関する本も手に入れて、読み始めてしまいました。