思い出は思い出として

タイトル通りが、分別ある大人というもかもしれません。

いま、川島あいの「12個の季節~4度目の春~」を聞いています。

この曲を耳にすると、高校時代にのことが思い出されて、なんだかとても切なくなります。

切なくなる、といっても、悪い感情に支配されるわけでなく、本当に懐かしい、という思いでいっぱいになります。

そして、あの時代に戻ることは決してない、という事実、これらすべてが、私の心の中で充満して、複雑な感情(切ない)を創り出しているのです。

高校時代は、人生の中でたった3年間ですが、私には、人生の方向付けをするために必要だった、大切な期間でした。

そこで巡り会った恩師、仲間たち、みんな善き人たちでした。

恩師はすでに他界され、仲間とも、長いこと会っていません。

3年間、クラス替えがなかったので、ずっと同じ仲間でしたが、ほんと、良い仲間に恵まれました。

進学校ではない都立高校だったせいでしょうか、みんな、落ち着いていて、のんびりしていました。

今思えば、あののんびりしたムードが、学校群制度下の、都立高校の特徴的だったのかもしれません。

と言っても、上位進学校は、まだ東大を目指して、鼻息が荒かったようですが、こちらは、そんなこととは無縁の学校生活でした。

先生方も、都の方針で、受験教育を取り上げられ、手持ち無沙汰だったに違いありませんが、ある意味、のびのび自分のしたいことが出来る環境であったと、言えるのかもしれません。

その中で、自分の将来を考えて、それに向けて、学校の勉強とは別の「勉強」をすることができました。

それは、ひとえに、担任だった恩師の指導によるもので、恩師との交流がなかったら、方法も分からず、ただ漫然とした趣味の世界に自己満足した生活を送っていただけかもしれません。

色々なことをしました。

自分の興味あるテーマを見つけ、それに関する情報収集、そして、その整理。

整理した情報を駆使して、論文を書き、ある時は、懸賞論文に応募することもしました。

その課程で、自分の進むべき道が何か、ということに気がつきました。

そこにも、興味の方向性は違っても、一緒に取り組む仲間がいて、ちょうど、同人雑誌をやっている小グループのような感じでした。

しかし、今思えば、恩師も、ずいぶん未熟な高校生に、それも、学習面ではあまりはかばかしくない連中を相手に、よくもまあ、時間を割いてくれたものです。

今の学校教育では、恩師のような先生はいるのでしょうか。

子どもの学校(私立高校と都立高校)では、そんな人物は見当たりませんでした。

オタクのように、自分の世界だけで過ごす教員はいますが、もっと広い心で、学校の教科にこだわることなく、人を育てる意欲を持った先生は、少ないように思えます。

恩師は、生徒に迎合するところは全くありませんでした。

生徒と、不必要に、友達のように接することが大切だと錯覚している教員が、最近は多いようですが、恩師は、あくまで先生でした。

しかし、ほんと、自分にとっては、理想的な環境でした。

もう一度、高校生をやってみたい、と思わせてくれる、そんな3年間でした。