母(かあ)べい

ちょっと前になりますが、母べいを観ました。

山田洋次監督で、吉永小百合が戦前の母を演じた映画です。

吉永小百合の演技は、それはそれは確かなもので、相変わらずの優等生でした。

昭和の母が、この映画のテーマのようです。

第二次大戦を挟んだ動乱の時期を、思想犯で投獄された夫を待ちつつ、2人の娘を育て上げる、という物語に、昭和の母の理想型をみました。

でもね、なんだか物足りないんだなあ。

吉永小百合があまりに、キッチリとした演技をしすぎるのもあるけど、登場人物が、皆、あまりにいい人すぎて、かえって、メリハリがないような感じです。

まさに、山田洋次の世界、です。

いい人ばかりで構成された集団劇、そんな印象です。

もっとドロドロとした人間と人間とのぶつかり合いがあってこそ、気丈な母親が、際だつように私は思えました。

娘役も、器用で、吉永の足をひっぱることなく、流れるように物語は進行するんですけど、なにか、淡々としすぎています。

そして、終戦から、一気に現代に場面が展開するのも、無理があるように感じました。

その間の、母と子の生きざまこそが、私には興味があります。

全く個人的見解ですが、大変な時代を、母と娘で、どう乗り切ったのか、それこそが、昭和の母の強さを表現するに必要なエピソードのように考えます。

臨終の床で、吉永演じる年老いた母親が、駆けつけた末の娘に、生きて夫に会いたかった、と言うのですが、そこに至る伏線がないため、そのセリフが唐突すぎて、その意味を十分に理解し、感情移入することが出来ませんでした。

深い愛で結ばれていた夫のことを何時までも思い続ける妻ということを了解済み、ということなのかもしれませんが、夫が獄中死し、2人の娘を抱えて、大変な時代をどう生きたのかが、この母親の人生を語る上で、なくてはならないもののように、私には思えたのでした。

山田洋次の作品は、人間の善良さを描くことに関しては、天下一品です。でも、人間の陰の面を、あっさりと流しているように感じます。

それこそが、山田作品の特徴なのかもしれませんけどね。