予備校と見間違えるような受験教育を売り物にした都立高校改革。
教育とは、東京大学への合格者を増やすこと、と定義した東京都教育委員会と東京都教育庁。
都知事の意向を反映したものなのだろう。
それをヨイショする選民思想崇拝者による、インターネットやマスコミを巻き込んだ都立高校復活宣言。
私のブログにも、一時期、そんな人物とおぼしき、膨大な書き込み攻撃があった。
経済的に苦しい世帯が増大している現状で、安価な高校教育が受けられる唯一の道、それが都立高校だ。
都立高校改革は、かっては、学習塾など不要だった都立高校入試を、お金のかかるものに急転換させた。
そして、いとも簡単にそれに迎合する教師を、あたかも優秀な教師として、評価するようにした。
学校群制度下の、私の知っている都立高校は、東京大学という評価軸を用いた場合、なんともパッとしない高校群だったが、それでも、東大合格者を出すことが教育であると教師は言わなかった。
それは、教育に携わるものとして、恥ずかしいことだからだ。
誠実であろうとする献身的な教師を、アカ教師と決めつけて排斥するゆがんだ思想が、行き過ぎた戦後民主主義の反動から頭をもたげつつある。
現東京都知事はその信奉者だと、私は考える。
品格のない人物が、教育を論じるとき、それは、誠に下品なものになりさがる。
教育を、商売と同じ感覚で論じ、経営目標を掲げさせ、一方で、国に喜んで命を捧げることを教育の本質と考える知事に、お気楽な東京都民は、どんな未来をみているのだろうか。
私は、特攻服をまとった若者しか、現都知事の思想信条からは想起できない。
彼のこれまでの悪行を考えたら、彼が都知事であることが不思議でならない。
早々に、退陣願いたい。そして、真にゆとりのある、品格のある教育を取り戻してもらいたい。