できるだけ塾に通わず、受験に勝つ方法

できるだけ塾に通わず、受験に勝つ方法、という本を読みました。

かなりの実績を上げてきた教育コンサルタント?の方が書いたものです。

感想ですが、すべて論理的で、説得力のある内容で埋め尽くされていました。

そうです、あまりに埋め尽くされすぎていました。

著者の実績を誇示するための例が、普遍性を欠いたもので、せっかくの著者の論理性を台無しにしているように感じられました。

ご本人が書いたというより、インタビューの内容を、編集者がまとめた、という印象を受けました。

でも、書かれている内容を実行できるのは、ハッキリ言って、時間的にも、経済的にも、かなりの余裕がある家庭だけです。

加えて、親が十分な教養と社会性を持ち、教育熱心である必要があります。

著者が、普段、対応する社会階層を念頭に置いて、そのレベルにあわせて話を展開しているのかも知れません。

そうだとしたら、納得できます。



確かに、お金をなるべくかけないで、基礎的な学力を養成することに関しては、大いに参考になりますし、その論理性も完璧です。

こんな大仕掛けの、教育計画を用意しなくとも、昔は、上級学校に進学できたのですが、世の中変わったんでしょうか。

昔(私の子供時代、40年以上前)は、勉強することの意味を、社会を観察することで、子供たちは理解していたのかも知れません。

つまり、生きていくために何が必要かということを、日々の暮らしの中から学び取り、その習得のために、親に強制されなくとも、自然と勉強するようになったのではないか、と考えたのです。

子供たちが、今より、ずっと社会に密着して生活していたように思えます。

日常生活の中で、家事や、家の仕事に子供が参画するという機会が、今よりずっと多かったです。

私も、家業の手伝いをよくやらされました。そして、風呂焚き係も務めました。

社会との接点は、限られた空間になり、現実の社会を理解する機会はほとんど無くなったと言えるかも知れません。

その代わりに、社会に関する知識(または情報)は、学校や塾で詰め込まれます。

その知識は、現実の、自分の身近で起こることとはかけ離れたことであって、現実味のないものです。

現実味のないものに対して、一生懸命であることは、かなり難しいと思います。

実体験の伴わないことを、子供に上手に説明し、理解させるという難題が、現代の大人には与えられたのです。

子供の知的好奇心をくすぐりながら、想像力をかき立てる、そんな努力を求められる世の中になったということかも知れません。

私は、そんな世の中には、悲観的です。

実体験の中から、生きる意味を知ってこそ、人は一生懸命になれるものだと、私は信じていますから。