虚しい、あまりに虚しい

先ずは、時事通信の記事より 

「東京都足立区教育委員会が昨年4月に行った学力調査で、トップの成績の小学校が、情緒障害などのある児童3人の答案を保護者や区教委に無断で抜き取り、採点から外していたことが7日、分かった。この学校では他の不正も指摘されており、区教委は調査に乗り出した。学校側は児童の保護者に謝罪している。区教委が同日記者会見して明らかにした」

これが、今、都が進めている公教育改革?の結果なら、あまりにも虚しすぎます。

何でも競争、そして、評定による差別化、つまり、予算措置に差をつけるという、教育の質さえ揺るがしかねない事態が進行しているのなら、大変なことです。

学校ごとに様々な事情があり、一斉学力テストで教育の質を評価するには無理があります。

テストに全てを依存しているとは思いませんが、ずるしてまでも点を上げたい気持ちにさせるからには、何か大きなプレッシャーが存在しているんでしょう、きっと。

多分、同じようなことをしている学校は、もっとあるはずです。

ちゃんと調べて、白日の下に全てをさらすべきでしょう。

そして、なぜ、教育者という聖職にある者が、こんな事をやらかしたのか、徹底的に議論すべきです。

妙な国粋主義的思想の押しつけに始まった東京都の公教育改革?ですが、その思想の源に救いがたい問題があるのに、触らぬ神に祟りなし状態が続いています。

数値目標、経営計画、日の丸、君が代、それらをちゃんとやったらご褒美をもらえるというシステムは、果たして公教育の何を改善できたのでしょうか。

教員の意識を改革できた、なんて軽々しく、言って欲しくないです。

中学、高校と、公教育に子供を委ねている者として、これだけはハッキリさせておきます。

無責任は煽動は不愉快極まりないです。こちらは現実を見ているんですから。

シンパとおぼしき右翼思想の持ち主が、都の教育改革?を盛んに持ち上げていましたが、その裏には、恐ろしいほどの選民思想がハッキリと見て取れます。

バカ高いホテルに泊まったり、身内に公の仕事を回したり、選民は何をやっても許されるようですね。

選ばれなかった者は、適当にあしらっておけばよい(高校卒業資格は与える)、という改革は、ひとを侮蔑することになると私は思います。

公教育の現場が、健全な方向に向かっていると、少しも思えないのは私だけでしょうか。