高校卒業資格

職業技能訓練と高校教育とは密接な繋がりがあることは理解できる。

しかし、一般常識や社会性の無い者を収容し、それを身につけさせる場として、高校が使われるなら、何か本来の使命とは大きくかけ離れていると思う。

様々な理由で、一般常識や社会性正しく身につけられない環境に置かれたしまった子供たちがいることは確かだが、それを通常の教科を教えることを目的として養成された教師に押しつけるのは、あまりに無理がある。

そんな無理難題を教師に押しつける風潮を、私は憂慮する。

国が、この問題に全く取り組んでいない。

私的な収容施設で、わずかの国からの補助で、この問題に取り組み、悪戦苦闘する施設長の話を聞いた。

なぜ、国が、この問題の取り組まないのか。

例が不適切かもしれないが、成人した、いい大人の犯罪者を、民間委託した居心地のいい刑務所に収容するお金があるんだったら、なぜ、未来ある子供に投資しようとしないのか。

都立高校の何校かで、この問題に取り組んで成果を上げたということが、大仰に取り上げられることがあるが、あれは改革とは無縁の、当該校の教職員の使命感と努力の結果なのだ。

マスコミは目立つことしか取り上げられないが、他にも、先生方が地道に、この問題に取り組んでいる都立高校がある。

いや、マスコミなどに取り上げられない方がいいかもしれない。よこしまな考えを持った者が、必ず利用しようとするからだ。

他人の努力を横取りし、さも、自分がやったかのよう宣伝する腐った輩が沢山いる。

都立高校の一部は学校のカリキュラムを大幅に変更し、この難しい問題に対応しようとしているようだが、果たして、高校という枠組みでこれをやる必要があるのか、きちっと議論してほしい。

最低でも、高校卒業資格が欲しいということになのだろうか。

その要請に公が応えたということか。

今一度、公(東京都)が学校という場を、どう定義するか明らかにし、議論を尽くすべきだ。

公だからといって、何から何までやる必要はない。

ましてや、高校という場に執着する必要はどこにもないはずだ。