気になったので、夜、最終回を見に行った。
全体的に、軽快というか、軽い流れで、物語が進行していた。
原作の、重苦しさを、あえて排除したのだろうか?
それも、ひとつのやり方かもしれないが…。
私は、映画「地下鉄に乗って」の軽さが、好きになれない。
小説のエピソードを、映画で再現することは不可能だろう。
莫大な費用と、時間が必要になると思う。
だから、色々なところを切り捨てて、軽量化を図ったのだろう。
それと引き替えに、原作の真摯さというか、深刻さが、失われてしまった。
完成度が高い小説の、どこにも不要な箇所はないのだ。
やたら削ることによって、原作の雰囲気が、損なわれてしまっている。
主人公、真次を演じた、堤真一の、あの独特のいやみったらしさが、ちょっと引っかかった。
ひとつ、よかったと思う箇所がある。
私が、小説で気に入らなかったラストの場面が、改変されていて、ホッとした。
自分の子どもが自殺した日に、愛人と、そのお腹にいる子どもの未来について嬉しそう?に語ってはいけない。
自分をさらけ出せる愛人の元では、泣き濡れて、自分の愚かさに、呆れ果てるべきなのだ。
残念なのは、みち子の扱いが、軽いことだ。
みち子の、愛の深さ、葛藤、苦悩、そしてたどり着いた結論の重さ、をもうちょっと丁寧に描いて欲しかった。
最後の、みち子が自分を消滅させる道を選ぶという見せ場が、簡単すぎて、唐突な印象を持った。
ホームドラマっぽい味付けが、映画を軽く見せている。
ホームドラマは見たくはなかった。