勉強したい子供は、どこにでもいる

今の都政になってから、学力のある生徒を、都立高校に囲い込もう、と躍起だ。

平凡な学力の生徒は、それなりの教育指導でいい、という判断なのか?

十分な進学指導を受けられない平凡な都立高校の生徒で、お金のあるうちの子は、予備校へどうぞ、という考えなら、しかも、現場の教員がその考えに同調するなら、都立高校に未来などない。

都立高校の教員は、東大に合格者を出すことに、どれだけの意味を感じているのだろうか。

日比谷、西、戸山、国立、立川、八王子東、この学校の生徒だけが、もてはやされている。

東京都の教育理念は、公教育の教員の意識は、予備校と同レベルなのか。

平凡な都立高校の生徒で、予備校には行けないので、自分の学校の中で、一生懸命勉強をしたい、しかし、やり方がわからない、あるいは、教員の意識が低く、サポートを受けることが出来ない、という場合は、どうすればいいのか。

確かに、その生徒の学力で入学できる大学では、都立高校の宣伝にはならないかもしれない。

だから、そこそこの対応でいいと、都は判断しているのか。

現状は、そんな生徒を切り捨てる方向に、都立高校全体が動きだしている。

勉強の定義を拡大解釈して、何をやっても単位になるという(すなわち、高校卒業資格が取れる)、何とかスクールを新設しているが、私には、責任放棄の果ての、単なるごまかしにしか思えない。

教育とは相容れない価値観で、都立高校改革が強引に進められている。

いつまでこんなことが続くのか、なぜ、私立と同じことをして、私立に追いつく必要があるのか。

私立と同じことを目指すなら、教育費という莫大な経済的負担を、各家庭に強いることになるのだ。

私には、さっぱりわからない。なぜ、公教育が、そんなことに足をつっこむ必要があるのか。