番外編1

高校進学を控えた、中学3年のときのことを、ハッキリと思い出すことが出来ない。

中3の秋頃から、模試の成績がビックリするほどよくなった。

でも、それまでの成績不良がたたり、内申点はたいしたことがなかった。

そんな事情もあって、いわゆる進学校ではない都立高校の普通科を受験した。

というか、担任の先生にすすめられるままに、進学先を決めた。

内申点が、進学校に合格するには、明らかに不足していたのだ。

つい最近知ったのだが、当時は、内申点が50%も占めていたそうだ。

ほとんど、平素点で、勝負が着く状況だったのだ。

中学生の私は、そんなことも全く知らず、模試の成績が受験するたびに、どんどん良くなるので、嬉しいかったし、模試が楽しみだった。

模試の点数のように、内申点をあげることはできなかったし、あんまり気にしていなかったと思う。

そんな現実的な事情で、受験先が決まっていったのだった。

2番手の学校群を受験することは、進路指導する先生の立場から見れば、至極当然のことだったのかもしれない。

親も、都立の普通科に入れればいい、くらいにしか考えていなかった。

姉が、都立の普通科に入れるかどうかで、かなり気を揉んだ母は、私の場合、普通科進学に問題はない、ということだけで、満足だったようだ。

まあ、親に期待を抱かせるほどの学業成績ではなかったということだ。

私立の滑り止めは、当時(失礼、今でも)、千葉県では有名進学校だった高校を1つだけ受けて、合格した。

たぶん、自宅から一番近い、合格しそうな高校、ということで、受験したと思う。

東京の端っこの、学業成績もそこそこで、受験教育とはあまり縁のない家庭の子供は、高校進学に関しては、こんな程度の思い入れだったのだ。

信じてもらえないかもしれないが、当時の私は、他人の成績には全く興味がなく、ごく一部の友人のことを除き、誰がどれくらいの学力があり、どこに進学した、なんてほとんど知らなかった。

何時も一緒にいた友人の1人に、学業や成績のことばかりに関心がある者がいたが、仲間と、勉強や進学のことを話題にして話し込んだという記憶が全くない。

いつも、気の合う仲間とは、趣味にしていた鉄道のことばかり喋っていた。

鉄道に関しては、勉強よりはるかに、時間とお金を使ったと思う。

私は、鉄道オタクだったのだ。

勉強も、鉄道くらい集中してやれば、良かったのかもしれないが…、後悔先に立たずということで。



大学院に進学したとき、私が所属していた研究施設で、ばったりと中学の同級生と出会ったことがあった。

彼は、都立の進学校に進んで、都内の国立大学に現役で合格し、大学院に進んだとのことだったが、小学生の時、ちょくちょく遊んだ同級生にもかかわらず、彼の消息については何も知らなかった。

彼は、他大学の学生だったが、私の大学の実験設備を使い、研究をやっていたのだ。

その時、ふと、自分も無理してでも、進学校に進んだ方が良かったのかもしれない、と思った。

道草を食うより、すんなりとことが運んだ方が、いいように思えたのだ。

そして、学歴ということを、ほんのちょっと、真剣に考えた瞬間だった。

現在は、人生には、色々な道筋があり、かつ、思うようにならないことがほとんどだ、という思いに傾いている。

ただ、どこかで頑張った経験のない者は、夢を叶えることは難しく、かつ、不満だらけの人生を送る可能性が高い、という確信には到達できた。